2010年から2015年にかけて、10代の子どもたちは、自分専用のスマホを持ち始め、社会的スキルを身に付けるための脳の発達に重要な思春期のすべてをスマホと共に過ごすようになり、その影響が深刻化しています。ジョナサン・ハイトは、1990年半ば以降に生まれたこの世代を「不安世代:anxious generation」と呼びます。
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はじめに
ジョナサン・ハイト(Jonathan Haidt, 1963 -)は、道徳心理学が専門のニューヨーク大学の社会心理学教授です。私のお気に入りの作家でもあり、彼が書いた本は今まで全部読んでいます(全部と言っても4冊ですが)。
本サイトでも以前書いた「モラルは考えるのか、感じるのか? 意識と無意識とトロッコ問題」という記事の中で、彼の道徳理論に少し触れたこともあります。
今回紹介する書籍は2024年出版のハイトの新作で、スマホやソーシャルメディアが子供たちの成長に及ぼす影響を書いた「The Anxious Generation(邦訳)不安世代」です。
本書は大きく2つのパートに分かれています。前半は世界中で起きている子どもたちの脳の「デジタル破壊」がもたらす問題をデータを提示しながら説明し、後半ではそれを修復する方法を提案しています。
ここでも同じように問題と解決策を紹介していきましょう。
なお、本書の日本語版はまだ出ていませんが、その他の彼の著書と同様にそのうち翻訳されるでしょうから、出版された際には書籍のリンクを追加しておきます。
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ソーシャルメディア世代の脳の「デジタル破壊」
この本のメインテーマであるスマホやソーシャルメディアの弊害については、本サイトでも度々言及してきました。
現在私たちが手にしている形のスマホは、2007年に発売された初代iPhoneによって生まれ、その後まもなく2000年代後半から2010年代前半にかけて、ソーシャルメディアと共に急速に普及しました。
ハイトは、2010年から2015年までの期間を「子どもたちの脳に大規模な再配線:Great Rewiring of Childhood」が起きた時期と呼びます。この頃から、10代の子どもたちは、自分専用のスマホを持ち始め、ソーシャルメディアやオンライン動画、オンラインゲーム、その他のオンラインアプリに日常的にアクセスするようになりました。
そして、その結果、さまざまな問題が起き、深刻化してきています。
最も影響を受けたのは、1990年代半ばから2000年代前半生まれの世代、いわゆるZ世代(Generation Z)の若者たちです。Z世代は、脳の発達においてとても重要な思春期を、最初から最後まで一貫してスマホと共に過ごし続けた最初の世代だからです。
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私たちの脳は生まれてから20代半ばになるまで成長し続けます(厳密に言えばその後も成長できますが)。
感覚や感情を扱う原始的な脳の領域は、生まれた段階である程度出来上がっています。そして、脳の90%は5才になるまでに成長します。
しかし、自制心、思考、意思決定、感情抑制、社会的適応、対人スキルなど、私たち人間を理性ある動物たらしめる前頭葉(frontal cortex)などの外側の脳領域は、生まれた時点ではまだ出来上がっておらず、生まれた後、周囲の環境の影響を受けながら少しづつ時間をかけて25才ごろまで変化し続けます。
他の多くの動物たちと異なり、人間は生まれてきた段階ではまったく未完成なのです。生まれてすぐ立ち上がり歩き始める動物もいますが、人間の赤ちゃんにはそれができません。生まれた後の長い期間、周囲の人たちからの世話を必要とします。
よく赤ちゃんにうるさいとか、静かにできないのかなどと心無い文句を言う大人がいますが、自分をコントロールする脳領域も発達していないので、できないのが当然なのです。逆に、大人の注目を浴びようと騒ぐのは、赤ちゃんの仕事です。
私たちは、周囲の大人たちや、同年代の仲間との遊びや触れ合いの中で、時間をかけて、人との接し方や自己をコントロールする能力を身に付けていきます。特定の社会や文化に生まれた子どもたちは、親や家族、周囲の人たちがしていることを模倣して、その行動を引き継いでいきます。
人間は、他の動物のように強さや速さで生き延びたのではなく、生まれてから大人になるまでの20数年に渡る長い時間をかけて、知識と経験を積み重ね、社会の中で他の人たちと協力することを学ぶことで、生き延び、繁栄してきたのです。
脳の健全な成長のためには、正しい時期に正しい順番で正しい経験をしなければなりません。
その顕著な例が言語能力です。
概して、12才未満で違う国に移り住んだ子どもは、その国の言葉を正しい発音で習得します。しかし、14才を越えてから違う国に移り住むと、習得には大きな努力が必要となります。同様に、15才以下でアメリカに移り住んで数年を過ごした日本人の子どもは自分をアメリカ人と意識する傾向が高いですが、15才を越えてからアメリカに移り住んでも日本人としてのアイデンティティを持ち続けます。語学能力だけでなく、自分自身のアイデンティティが確立するのもこの時期なのです。
私はかつて仕事でアメリカに仕事で駐在していた時、ちょうど年が2つ違う娘さんたちを日本から連れてきた同僚と一緒に働いていましたが、その子たちがまさにそうでした。2人とも現地校に転入したのですが、下の子はアッという前にネイティブ英語を身に付け、学校の友だちと仲良く遊ぶようになりましたが、上の子はなかなか英語が身に付かず、学校でも苦労していたことをよく覚えています。
つまり、思春期のわずか1、2年でさえ、脳は環境によって劇的に変化し、環境が大きな影響を及ぼすのです。
自己意識や社会的スキルを身に付けるための、脳の健全な成長に重要な時期に、Z世代の若者たちの多くは、家族や友だちと直接触れ合うよりも、多くの時間をスマホの画面を見て過ごしてきました。
仲間との遊びやおしゃべりは、ソーシャルメディアを通したポストやコメントやストーリーに置き換えられました。これがどれほどのインパクトを持つかお分かりいただけるでしょうか?
データ上も子どもたち同士が直接会って遊び合う機会が減ったのは事実です。人工的に造られた世界の中で、クリックによるコミュニケーションを取るようになった世代は、成長に必要な触れ合いが不足し、社会で必要なスキルが不完全なまま大きくなり、その結果、精神障害、不安症、睡眠障害、うつ病、自虐行為、注意力の欠如といった問題が増えてきています。
ジョナサン・ハイトは、1990年半ば以降に生まれた世代を「anxious generation:不安世代」と呼びます。
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負の影響はそれだけにとどまりません。
健全な子どもたちは実体験を通して失敗を積み上げながら学び成長していきますが、ソーシャルメディアの世界では、失敗は許されません。失敗は瞬く間に拡散し、多くの人の目にさらされ、不特定多数から非難されるからです。つまり、成長に必要な失敗ができないのです。
また、ソーシャルメディアでは、自分のイメージを守り続けることが求められます。フォロワーを増やすためにさまざまなコンテンツを作りますが、それはもはや楽しいからやるというよりも、何かに強いられてやっているのであり、若くして大きく膨らみすぎたエゴを満たすためにやっている場合さえあります。
繰り返しますが、ハイトによれば、Z世代は、脳の発達に重要な思春期を自分専用のスマホを持ち、ソーシャルメディアと終始過ごしてきた初めての世代です。
その前の世代、いわゆるミレニアル世代やY世代(Generation Y)と呼ばれる1980年代から1990年代半ば生まれの世代では、思春期を通してスマホやソーシャルメディアの影響にさらされるということはありませんでした。スマホが普及し始める2010年ごろにはミレニアル世代の脳は、ある程度発達し終えていたからです。そのため、問題はZ世代ほど深刻ではないことが、データでも示されています。
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現実世界では過保護に育てられ、バーチャルな世界では放置される
Z世代は、両親から過保護に育てられた世代でもあります。
子どもたちが健全に成長するためには、同世代の仲間たちと自由に遊ぶ必要があります。子どもにとって遊びは仕事です。遊びは、社会的スキルや対立解決スキルなど、大人になってから経験するさまざまな困難への適応性を高める大事な準備作業です。しかし、残念ながら、子どもたちが外で友達と遊ぶ機会はその前の世代の1980年代から減り始め、1990年代からはその傾向が加速しています。
アメリカでは誘拐や性犯罪の懸念から子どもを1人で外出させることを親が恐れるだけでなく、子どもを1人にすることは犯罪になってしまいました。子どもたちは自由が制限され、大人の監督なしで自主的に外で遊ぶ時間が減りました。
またゲーム機の普及もその傾向に拍車をかけました。つまり「遊んで過ごす子ども時代:Play-based childhood」の衰退は1980年代から始まっていて、それが2010年半ばで「スマホと過ごす子ども時代:phone-based childhood」への移行を終え、以降それが続いているのです。
さらに言えば、ジョナサン・ハイトが前作「The Coddling of the American Mind(邦題)傷つきやすいアメリカの大学生たち」で書いたように、子どもたちは過保護に育てられただけでなく、大きくなるにつれて、彼らにとって「有害」なものから自分たちを守るように要求するようにもなりました。
つまり、彼ら自身が過保護を自ら要求するようにさえなったのです。
アメリカの大学キャンパスの文化も2015年ごろから大きく変わりました。大学生になったZ世代たちは、それまでの世代では問題にならなかったようなことにも過敏になり、時に暴力を使ってでも、それらを排除し、自分たちを守るように訴えるのです。以前、学生たちから不当に糾弾され、善良で熱心な教授が職を失った話を紹介したことがあります。過保護を求める学生たちによって、教員たちはかつてのように自由な発言ができなくなってきているのです。
もうひとつの大きな問題は、子どもたちは現実世界では過保護にされる一方で、バーチャルな世界では、ほとんど無防備に近いということです。
闇バイトなどのように簡単に若者が凶悪犯罪に加担する事件が、毎日のようにニュースでも報道されています。多くの若者たちが、ソーシャルメディアをきっかけにして、犯罪に巻き込まれたり、人から傷つけられたり、人を傷つけたり、人を殺したり、一生を棒に振ってしまうようなことにいとも簡単に行っています。
判断力がまだ成熟していない若者たちを利用しようとする悪意ある巧妙な人たちや犯罪者、過激で有害なコンテンツは、今や実世界よりバーチャルな世界にあふれかえっています。
私たちは現実世界では子どもたちを過保護にして、実体験しながら成長する機会を奪う一方で、犯罪者と危険が蔓延するバーチャルな世界では、子供たちをほとんど野放しにしているのです。何らかの対応がなされなければなりません。
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修復するための方法
ジョナサン・ハイトは、次の4つの提言をしています。
1.高校生になるまでスマホ禁止。親は、それまで、アプリが制限されインターネットブラウザのない携帯電話のみを与え、子どもに無制限にインターネットにアクセスできないようにする。
2.16歳になるまではソーシャルメディア禁止。子供たちを社会的比較やアルゴリズムによって選ばれたインフルエンサーに結びつける前に、脳の発達に最も敏感な時期を乗り越えさせる。
3.学校ではスマホ禁止。小学校から高校まで、生徒は、携帯電話、スマートウォッチ、その他テキスト送受信可能なデバイスを鍵のかかったロッカーなどに保管する。
4.大人の監視なしに自由に主体的に遊ぶ機会を増やす。子どもたちに自然に社会的スキルを身につけさせ、不安を克服し、自立した若者になることを支援する。
これら4つの改革は、みんなが守れば、実行するのは難しくありません。費用もほとんどかかりません。ハイトは、もし地域社会のほとんどの保護者と学校が4つすべてを実行すれば、2年以内に若者の精神状態は劇的に改善されるだろうと言います。AIや仮想世界の発展によって、スマホアプリがますます没入型で中毒性の高いものになろうとしていることを考えると、すぐにでも始めるべきだと警鐘します。
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日本はどうか?
ジョナサン・ハイトが書籍の中で引用しているデータは主にアメリカ、イギリス、カナダやその他英語圏や欧米の国々子どもたちのものであるため、これがすべてそのまま日本に当てはまるというわけではないでしょう。アメリカで見られるような子どもたちに対する行動の制限も日本ではまだそれほど多くありません。
しかし、携帯電話(スマホではなくガラケー)が世界に先駆けて普及したのは日本でした。
当時、日本を訪れた外国人は、どこに行っても画面ばかり見ている大量の日本人を気味悪がったものですが、その光景はもはや世界の日常となり、誰も何の違和感を覚えなくなりました。また、ゲーム機が普及し始めたのも日本が最初でした。今の形状のスマホの普及はアメリカから始まりましたが、日本では同様の問題はもっと早くからあったのかもしれません。
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さいごに
本書で、大胆にもスマホやソーシャルメディアという大きなトピックスに切り込んだジョナサン・ハイトですが、私は彼のファンではあるものの、残念ながら、この本は、ちょっとすっきりしないというか、キレが悪いというか、消化不良というか、論理が浅い部分があるとも感じています。
まず、さまざまな問題をソーシャルメディアと安易に結び付けすぎています。
スマホは数多くの機能を併せ持つひとつの道具であり、「スマホ=ソーシャルメディア」ではありません。問題があるのは事実でしょうが、スマホのさまざまな機能そのものは正しく使えば私たちの生活にとても有益なもので、スマホをソーシャルメディアに結び付けて全否定することは合理的ではないと感じます。
本書ではソーシャルメディアとZ世代が抱える問題を結びつける様々なデータを紹介していますが、因果関係が不明確なものもあります。実際に本書に対して批判的な評論や反論がないわけではありません。(1)(2)
そのため、本書を読むにあたっては、書いてあることをすべて鵜呑みにするのではなく、クリティカルな視点をもたなければなりません。実は、ハイト自身もこの本は完全ではないと認めていて、出版後も本書のホームページで情報を更新していくとも書いており、実際に多くの補足データがあるので、そちらをチェックすることも有益でしょう。
また、今回彼が紹介した問題はZ世代で他の世代より多く見られるというだけで、その他の世代で問題がないことを意味してはいません。この問題は、多かれ少なかれ、すべての世代に共通しています。
さらには「子どもたちをどうするか」ではなく、「大人たち自らがどう変わるか」という視点で考える必要もあります。
つまり、子どもたちにスマホとの付き合い方を変えさせたいのなら、まず大人自身がスマホとの接し方を見直さなければなりません。
子どもにスマホを制限しながら、自分はスマホの世界に没頭し続けて、何時間もいじりっぱなしでは何の説得力もありません。子どもたちは大人の姿を見て育ちます。子どもに何らかの制約を課す前に自らを見つめ直し、自分たち自身のどのような姿を子供たちに見せるのかを考える必要があるでしょう。
本サイトの前回の記事で紹介した書籍「The Body Keeps the Score(邦題)身体はトラウマを記録する」は、多くの子どもたちが幼少期に虐待やネグレクトによる深い傷を心に負っていて、早期の予防と介入が必要だと訴えます。
一方では大人がやっていることは棚上げしておいて子どもたちが批判され、一方では大人から過剰に保護され、一方では大人から心に深い傷を負わされ、子供たちが大人の都合の良いように扱われているようにも感じます。
これらは子どもたちだけの問題ではなく、大人たちの問題であり、社会全体の問題なのです。スマホやソーシャルメディアはその問題の1つではあるでしょうが、若者たちが抱える心の問題は、その他の多くの社会問題が複雑に絡み合って症状として現れた結果です。さまざまな社会課題に向き合うことなく、スマホやソーシャルメディアとの付き合い方だけ変えて何とかしようとしても、片手落ちの対応にとどまるのではないでしょうか。
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参考文献
(1) Candice L. Odgers, “The great rewiring: is social media really behind an epidemic of teenage mental illness?“, Nature, 2024/3/29.
(2) Blake Montgomery, “The Anxious Generation wants to save teens. But the bestseller’s anti-tech logic is skewed“, the Guardian, 2024/4/27