ある研究によれば、私たちは10分に1回はうそをついています。他人につくうそもありますが、ひょっとすると自分自身につくうその方が多いかもしれません。自分自身にうそをつくのは、できるだけ努力することなく自分が望む自分の姿(self-image)を手に入れたいからであり、できるだけ楽をして周りの人たちから認めてもらいたいと思うからです。
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はじめに
私たちはうそをつくのは悪いことだと小さいころから教えられてきました。
世の中でもうそをつくことは一般的に悪いことだと認識されています。
しかしそれでもなお、私たちの誰もがうそをついています。実際に私たちは、毎日のようにうそをつき続けていて、それをやめることができません。マサチューセッツ大学の研究によれば、60%の人たちが10分に1回はうそをついています。(1)(2)
そして、うそをついていることに自分自身が気が付いていないことすら珍しくはありません。
たとえば、車を運転する人たちの90パーセントは、自分は平均以上のドライバーだと信じています。大学教授の94パーセントは、自分は平均的な教授よりも優れていると信じています。(3)
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自分自身にうそをつくこと
他人にうそをつくことも多いですが、自分自身にうそをつくことも多いです。むしろ他人にうそをつくよりも、自分にうそをつく方が多いかもしれません。もし「あなたは100%自分に正直ですか?」と誰かに問われても、誰も「YES」と即答できないでしょう。
なぜ私たちは自分にうそをつくのでしょうか?自分に嘘をつく意味はあるのでしょうか?
自分にうそをつく明確な理由があります。それは、向き合いたくない現実と避けるためです。自分に都合の悪い事実を隠しておきたいからです。
私たちには、過去の失敗や、理想とは異なる現在の自分の姿、悲観的な将来の見込みなど、自分自身に関して認めたくない事実があります。私たちは、悪いことをしたのにやっていないと自分に言い聞かせたり、するべきことをしなかったのにやれることはやったと自分を納得させようとします。多かれ少なかれ自分自身に何かしらの問題があるのに、問題がなかったかのように振る舞おうとします。
私たちには自分が望む自分の姿(self-image)があります。
他人にこう見られたいという自分像があり、またはこうは見られたくないという人間像があります。
別の言葉で言えば、自尊心を満足させたいという自己欲求があり、他人から良く評価されたいという社会的な承認欲求があります。どちらの面においても、自分のポジティブな面を強調し、ネガティブな面はできるだけ隠しておこうとします。
- 周りの人たちより自分の方が仕事ができる
- 自分は正しく、あの人たちは間違っている
- やる気があるのにできないのは、いつも周りの人たちにやる気を奪われるからなんです
- 変わらなければならないのはあの人たちです。いつも迷惑をかけられているんです
しかし残念ながら、現実の自分は、自分に対して抱く良いイメージとはかけ離れています。私たちは現実の自分と向き合いたくありません。本当の自分に向き合うことは心地よいことではなく、羞恥心や罪悪感、劣等感、心配、不安をもたらすからです。
あなたはこう思う人もいるかもしれません。
それなら、欠点を克服して理想の自分に近づける努力をすればいいんじゃないの?
そうすればありたい自分の姿に少しずつ近づいていって、心配や不安も少しずつ軽減されていくんじゃないの?
しかし、問題はそんなに簡単ではありません。
なぜなら、私たちは努力することも避けたいからです。
つまり、私たちは、理想像と異なる自分も認めたくないし、他人より劣る自分も認めたくありません。さらには、そのギャップを埋めるための努力もしたくないのです。
そのために、私たちは自分自身にうそをつくのです。根拠のないうそを自分につくことはとても簡単です。自分以外の誰も介在しないからです。何の行動も必要としないからです。自分の頭の中で、現実を無視したり、フィルターをかけたり、歪曲するのは、努力という行動を取るよりもはるかに楽なのです。
さらに言えば、私たちは、努力したくないだけでなく、心配や不安などの受け入れがたい自分の感情とも正面から向き合いたくありません。そのため、行動を起こさないだけでなく、心配や不安を避けるための自己防衛のためのさまざまな心理メカニズムを駆使します。以前本サイトでは、次のような自己機制のメカニズムをいくつか紹介しました。例えば次のようなものです。
自己防衛のための心理メカニズム
1.否定、歪曲:「それは間違っている」とか「そんなの嘘だ!」とか根拠のない否定をしたり、「たまたま悪いことが起きてアンラッキーだった」と過小評価する。
2.無視:嫌なことから目をそらし、現実逃避する。
3.抑圧:不安や悲しみなどの精神的苦痛を避けるために、その記憶を心の奥底に押し込める。
4.転嫁:自分の責任なのに、それを誰か違う人の問題に仕立て上げ、八つ当たりする。
5.投影:自分の問題を他の人に移し、その人を自分の悪い部分や失敗を映す鏡のように扱う。自分自身の欠点を他人に投影して、その人を非難する。
6.正当化:ある状況に対して「俺を刺激したお前が悪い」などと非難して自分を正当化したり、加害者なのに被害者ぶったりする。
これらの防衛機制には、自分への「うそ」が関与しています。
防衛機制は、短期的には受け入れがたい感情から自分の心を守ってくれます。しかし、長期的には自己成長を妨げる有害な心理メカニズムです。
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自分にうそをつくことのメリット
私たち人間は2才になる頃にはうそをつくことを覚え、4才になる頃には時に大人顔負けのもっともらしいうそをつけるようになります。(4)
ラトガース大学の人類学教授であり「The Folly of Fools: The Logic of Deceit and Self-Deception in Human Life(邦訳)愚か者の愚かさ:人間の人生におけるうそと自己欺瞞の論理」の著者であるロバート・トリヴァース(Robert Trivers, 1943 -)は、うそは動物が生き抜くための進化生物学的な道具だと言います。
私たちは周囲の人たちから評価されるために、あるいは周囲から非難されないために、うそをつきます。つまり、社会の中でうまくやっていくためにうそをつきます。
赤ちゃんでさえ、お母さんから欲しいものを手に入れるためにうそをついたり、怒られるのを避けるために都合が悪いことを隠したりします。赤ちゃんには世話をしてくれる身近な大人の存在が必要です。そのため、うそをついてでもその人に近くにいてもらって世話を受け続けようとします。これは人間だけでなく他の霊長類にも見られる行動です。
大人になってからも、私たちは1人では生きていけません。他人からの助けが必要です。そのため、時に周囲の人たちとの関係性を維持するために、うそをつくこともあります。うそは、社会の中で生き抜くための手段であり、自分を守る防衛手段なのです。
また、うそをついてポジティブなイメージを周囲の人たちに与えることにはある程度のメリットがあります。
自分に才能や知性があると他人に信じ込ませることで、他人からの評価が高まります。他人に影響を与え、彼らを味方につけ、社会の中で評価され、勝ち抜くのに役立ちます。そのため、多くの人は自分を現実の自分より大きく見せようとするのです。
自分を大きく見せて自分暗示をかけることには、自信を高め、理想の自分に近づくために自分を成長させる動機にできるというメリットもあります。ただし、過剰な自己暗示は、自信過剰につながり、むしろ周囲からの評判を下げます。
自信過剰の反対のケースもあります。つまり、自分の能力を実際より過小評価するうそをついて、失敗するかもしれないという言い訳を最初に用意しておきます。しかし、自分を過小評価することで、潜在的な能力を発揮できなくなる長期的なデメリットがあります。
このように、うそをつくことにはメリットがあります。私たちは社会から認められ、都合の悪い真実から目を背けたり、辛い現実に向き合うことを避けたり、失敗のリスクを避けたり、ストレスから逃れることができます。しかし、うそは、短期的には受け入れがたいネガティブな感情から自分の身を守ってくれるかもしれますが、長期的には自己成長を妨げる有害な心理操作です。
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自分にうそをつく仕組み
自分自身の欠点にフィルターをかけて見えなくしたり、ないもののように扱っても、それは消えることなくそこにあり続けます。うそをつき続けることで私たちはうそで隠したものに対処する動機を失います。
以前も紹介しましたが、イソップ寓話に「酸っぱい葡萄」という物語があります。その中で、キツネがブドウを手に入れようとしますが、高い所にあって手に入れることができず、負け惜しみで、そのブドウはすっぱくて美味しくなかったに違いないと自分に言い聞かせます。キツネは自分にうそをついて自分を正当化しているのです。
自分で自分にうそをつくことを別の言葉で置き換えて言えば「自己欺瞞」です。自己欺瞞とは、反する証拠を否定したり無視するプロセスです。自己欺瞞には、欺瞞に関する自己認識をも明らかにしないように自分を納得させるプロセスも含まれます。つまり、自分で自分をだますのです。英語では「セルフ・デセプション(self-deception)」と言います。
自己欺瞞は周囲からは見破られることも多いですが、自分自身ではなかなか見破ることができません。
自分の中で築き上げた実態とは異なる偽りの自分自身が本当の自分であると信じ切っているからです。あるいは私たちの防御機能が働いて、事実を受け入れることをかたくなに拒否するからです。つまり、自分の頭の中では自分の理想に近づくのですが、現実には何も変わっていません。うそをつくことの問題は後になって表面化してきます。自分にうそをつく「つけ」は、最終的には自分に回ってくるのです。
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バイアス
また、私たちの脳には「うそ」をつくように私たちを仕向けるバイアスも組み込まれています。
人は自分の信念を支持する情報を受け入れ、それに反する情報を拒否する傾向があります。人は望ましい考えを受け入れるよりも、望ましくない考えを受け入れるのに多くの証拠を必要とします。これは「確証バイアス(Confirmation bias)」と呼ばれます。
また、私たちには自分の成功は自分の内的要因に帰属させるのに、失敗は外的な要因に帰属させる傾向があります。これを「自己奉仕バイアス(Self-Serving Bias)」と言います。
さらには、自分のミスは他人や環境や不運のせいにするのに、同僚や部下が同じようなミスをするとその人のせいにします。このバイアスは「根本的な帰属の誤り(Fundamental Attribution Error)」とか「行為者-観察者バイアス(Actor-Observer bias / Actor–Observer Asymmetry)」と呼ばれます。
このように私たちの脳には「うそ」と関連付けられた様々なバイアスが組み込まれています。
つまり、私たちは意識してうそをつくこともあれば、本能でうそをつくこともあるのです。
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嘘は現実と深く絡み合う
カナダの心理学教授デル・パウルス(Del Paulhus)は「自己欺瞞は単に嘘をついたり偽ったりするだけではない。。。もっと深く複雑だ」と言います。(5)
つまり、
- 心の奥底にある道徳観や価値観に反する何かをすると、私たちは罪悪感を覚えます。または、人から自分がすべきだと思われていることをしていない自分に気付くと羞恥心を覚えます。あるいは、人より劣っている自分に気が付くと劣等感を覚えます。
- その感情を避けるために、そして、自分を正当化するために、私たちは現実を歪めて認識し始めます。これが自分自身にうそをつくきっかけになります。
- 私たちはこの作業を人生の中で長く繰り返していきます。認めたくない現実に気が付くと新たなうそをつきます。別の問題が発生するとまた別のうそをつきます。このようにして、同じうそを繰り返したり、うそを上書きしていきます。
- そのうち、この作業は習慣となります。うそをついていることに自分さえ気が付かなくなります。現実に嘘を重ね、嘘に現実を重ねていくうちに、現実と嘘が深く絡み合っていきます。自分に嘘をつき続けて、捻じ曲げた元々の現実が何であったかさえ思い出せなくなります。どれが本当の現実で、どれが自分の中で築き上げた現実かも区別できなくなります。
驚くことに、これは多かれ少なかれ、私たちほとんどすべての人の頭の中で起きています。
この複雑に絡み合った嘘と現実を完全に紐解こうとする作業はほとんど不可能です。
自分に正直になろうとしても、しばらくすると正直だと思っていた自分が実は正直でなかったことに気付きます。そして、今度こそは正直になろうとしても、またその自分も本当の自分ではなかったことに気付きます。嘘と現実は私たちの中でとても複雑に絡み合って共存していて、完全にほどくことはできないのです。
このため、自分に正直になるという道のりに終わりはありません。
私たちは100%自分に正直になることは一生かかってもできません。私たちにできるのは「より正直になること」だけです。
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さいごに
私たちは誰も完ぺきではなく、多くの欠点や短所があります。しかし、私たちはそれが他人に見えないように、他人にうそをつくだけでなく、自分でも受け入れ難いため、自分自身にもうそをつきます。
うそは自分につくことから始まります。例え、誰もいない森の中に1人でいても私たちはうそから逃れることはできません。うそをつくことで短期的には満たされるかもしれませんが、より大きく大事なものや、ありたい自分を失っていきます。
ミシガン大学の心理学者で教授のデイビッド・ダニング(David Dunning)は、「自己欺瞞(self-deception)は、自己認識(self-awareness)の欠如の結果」だと言います。彼によれば「私たちはみな自己欺瞞に陥りやすいが、最も陥りやすいのは自己認識が欠如している人たち」です。(6)
私たちにできることは、まず、うそをついている自分にできるだけ気付こうとすることです。このサイトで繰り返し繰り返し書いてきていますが、問題解決の第一歩は、問題に気が付くことであり、その次にそれが問題であると認めることです。まずは自分で自分に気付くこと、そして、自分自身をより深く知ろうとすることです。
自分では上り坂だと思い込んでいたのに、下り坂を下っているかのようだった。そして、実際その通りだ。世間の評判は上がったが、それと同じくらい私の人生は衰退した。そして今、すべてが終わり、死が残っているだけだ。
~ トルストイ、「イワン・イリッチの死」よりIt is as if I had been going downhill while I imagined I was going up. And that is really what it was. I was going up in public opinion, but to the same extent life was ebbing away from me. And now it is all done and there is only death.
~ Leo Tolstoy from “The Death of Ivan Ilych”
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参考文献
(1) University Of Massachusetts At Amherst, “UMass Researcher Finds Most People Lie In Everyday Conversation“, ScienceDaily, 2002/6.
(2) Robert S. Feldman, James A. Forrest, Benjamin R. Happ, “Self-Presentation and Verbal Deception: Do Self-Presenters Lie More?“, Basic and Applied Social Psychology, 24(2), 163–170. 2010/6.
(3) Shahram Heshmat, “The Many Ways We Lie to Ourselves How honest are you with yourself ?“, Psychology Today, 2017/8/29.
(4) Lara Warmelink, “Children lie from the age of two, so here’s how to get them to tell the truth“, The Guardian, 2014/12/15.
(5) Bob Goldman, “The Truth About Lying“, The Silicon Valley Voice, 2012/8/29.
(6) Ayşe Kübra Kuyucu, “The Psychology of Self-Deception: Understanding the Causes and Effects“, Medium, 2023/2/23.