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書籍紹介:ポスト成長 資本主義の後の生き方 Post Growth

  • 投稿カテゴリー:社会が変わる
  • 投稿の最終変更日:2024年9月1日
  • Reading time:12 mins read

限られた世界の中で経済を成長し続けることはできません。ポスト成長に必要なのは、気候変動(climate change)ではなく、社会システムの転換(system change)です。○○を節約しようとか、□□をリサイクルしようという意識をはるかに超えた、私たちが大切だと思うものに対する根本的な考え方の変化です。

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はじめに

前回の記事で、消費拡大型資本主義の次に来る持続可能な社会の仕組みである脱成長(Degrowth)ポスト成長(Post growth)という2つの言葉について紹介しました。今回は、ではいったいポスト成長社会とはどのような社会なのか、環境経済学者ティム・ジャクソンの書籍を通して紹介していきます。

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成長なき繁栄:Prosperity Without Growth

ティム・ジャクソン(Tim Jackson, 1957 – )は、イギリスのサリー大学の教授であり、同大学の持続可能繁栄理解センター(CUSP : Centre for the Understanding of Sustainable Prosperity)の所長でもあります。
20年以上にわたり、持続可能な開発に関する国際的議論の最前線に立ち、英国政府、国連、数多くの民間企業やNGOと連携して、多くの活動をけん引し、多くの研究者や活動家たちに影響を与えてきました。

2004年から2011年にかけては、英国の持続可能な開発委員会(Sustainable Development Commission)の経済委員を務め、2009年には研究の成果を「Prosperity without growth?」というタイトルの報告書としてまとめ、その提言を英国首相にも説明しました。
彼の提言は、経済成長や消費拡大に依存した資本主義には限界があり、GDPを指標とする成長は持続可能な繁栄をもたらさないというものでした。しかし、当時の英国政府からは耳の痛い提言としてまったく歓迎されず、政府の意図によりインタビューが直前にキャンセルされるなど、冷ややかな対応を受けました。※ 下のYoutubeで当時のエピソードを話しています。

幸いにもこの報告書が委員会のホームページ上で提供されたことで、専門家から高い支持を得るとともに、環境問題に関心を持つ人たちや持続可能社会の推進者など世界中の多くの人たちの目に留まることとなりました。
2009年に発表されるとすぐに、委員会の9年間の歴史の中で最もダウンロードされた報告書となりました。その関心の高さから、その後まもなく書籍としても発刊されることになりました。さらには、改訂・拡張版が2017年1月に出版され、同年「成長なき繁栄」というタイトルで日本語版も出版されています。

今でも当初の報告書は英国の持続可能な開発委員会のホームページからダウンロード可能です。ダウンロードすればお金を払うことなく読むことができますので、ご興味があり英語が読める方はこのリンクからどうぞダウンロードしてお読みください。



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ポスト成長:Post Growth

この書籍「Prosperity without growth?(邦題)成長なき繁栄」は、今説明したような経緯で書かれたので、限られた政策立案者たちへの提唱として書かれており、環境に関する経済的な分析や、社会的側面に焦点を当てています。つまり、一般の人たちに向けて書かれたものではありませんでした。

その後、ティム・ジャクソンが、より広く多くの人たちに向けて書いたものが今回紹介する書籍「Post Growth: Life after Capitalism(邦訳)ポスト成長:資本主義の後の生活」です。なお、私はいつものようにこの本も英語の原書を読んでいます。残念ながら、日本語版は現時点では出版されていないようです。

ティム・ジャクソンは環境経済学者でありながら、数学や哲学や物理学の学位も持ち、受賞歴のある劇作家でもあり、BBCのラジオ番組の脚本も手掛けています。

この本のメインテーマは、数値分析や経済モデルにあるのではなく、良い生活を送るために、地球を搾取する必要も、大金を使い続ける必要もないというシンプルな主張にあります。
この本は、ポスト成長社会に通じる社会の実現に身をささげてきた人たちのストーリーを紹介しながら、彼の主張を重ねていきます。具体的には次のような人たちのストーリーが織り交ぜられています。

それぞれに素晴らしいストーリーと、彼らが求めた理想の社会の姿が紹介されています。また、その他多くの人たちのエピソードや考え方も紹介されています。その1つ1つは実際に本を手に取って読んでいただきたいと思いますが、ここでは特に印象深かったハンナ・アーレントについて書いている章を紹介しましょう。


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労働:Labour

アーレントは労働(Labour)仕事(Work)を明確に区別しています。

労働(Labour)は私たちの生活や健康を支える基本的な活動です。私たちの命を支える根幹を成す活動であり、社会の基盤でもあり、私たちの生活になくてはならない不可欠なものです。「労働は個人の生存だけでなく、種の生命を維持する活動である」とアーレントは述べます。労働は人間の存在の生物学的プロセスに密接に関係しています。彼女は「労働は生命そのものである」とも書いています。

しかし、現代の市場経済は、「労働」を軽視し「労働者」を置き去りにしています。

19世紀後半に書かれたウィリアム・モリス(William Morris, 1834 – 1896)の小説「News from Nowhere(邦題)ユートピアだより」で、ゲストと呼ばれるこの小説の語り手は、「Nowhere(どこでもない)」と呼ばれるユートピアを旅しています。その世界では、人々が報酬もないのに喜んで労働を行っています。

ゲストはガイドに「労働の報酬がないのに、なぜ人々は働き続けるのですか?」と尋ねました。
「労働の報酬がないと言うのですか?」ガイドは重々しく答えます。
「労働の報酬は命です。それだけでは不十分ですか?」

この小説が示唆するように、命を支えるために必要な労働は、それ自体が報酬となるものです。労働は生命に不可欠であり、私たち人間は労働するように設計されており、私たちに労働する能力とそこから喜びを得る能力を与えています。

道具の発達により、労働はより効率的になりました。さらには、工業化によって、エネルギー(化石燃料)を大量に利用することで、機械で様々な労働を代替できるようになりました。イノベーションによって生産性が大幅に向上し、生産能力が私たちの需要を上回るまでに至りました。増え続ける供給能力を満たすために、私たちの欲求を刺激し、需要を拡大させる必要がありました。

その過程で私たちは、アーレントが意味する労働から私たち自身を「解放」してきました。
私たちは労働という活動に従事することが少なくなり、労働がもたらす報酬や喜びの感覚からもますます遠ざかり、これらの活動を「楽しむ」のではなく「苦しむ」ようになりました。
肉体労働を不快で汚いものだと忌み嫌うようになり、報われないものとして極力避け、できるだけ社会の最下層にいる人たちにおこなってもらうようになりました。

私たちは労働で汗を流す代わりに、時々、運動の必要性に気づき、ジムに車で行って体を動かしたり、エクササイズやヨガクラスに参加して健康感を取り戻します。

現代社会では、労働から自由になることは、価値があることとさえ考えられるようになっています。アーレントとモリスはどちらも、それを重大な損失と認識します。アーレントは、「幸福は労働に伴う疲労と喜びに見出される」と言います。なぜなら、それは何よりもまず、生きていることに直結し、生きることの一部だからです。

しかし、現代に暮らすほとんどの人たちにとって、このアーレントの考え方は、とても奇妙で異質なもののように感じられるかもしれません。

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仕事:Work

アーレントの考えでは、仕事(Work)とは、人間世界の永続性を構築し維持することを可能にする活動です。

労働(Labour)には世話と生計が含まれますが、仕事(Work)は創造性の領域の活動です。仕事は技巧と技能とビジョンです。夢を描き、物を作ったり、何かを生み出すことです。

アーレントによると、仕事は、終わりあるはかない人生にある程度の永続性と耐久性を与えてくれます。仕事は、労働から得られるのとは異なる喜びを私たちに与えてくれます。

人類学者のメアリー・ダグラス(Mary Douglas, 1921 – 2007)の言葉を借りれば、仕事は私たちに「社会の創造に貢献し、その中に居場所を見つける」機会を与えてくれます。社会生活に参加する能力は、私たちの心理的および社会的健康にとって不可欠です。個人にとっては、それが所属の手段となります。社会にとっては、それが結束のメカニズムとなります。
仕事は、スキルを磨き、満たされる場所です。そして、人は余暇よりも仕事で喜びを体験しやすいのです。

仕事は、必ずしもすぐに喜びをもたらすわけではありません。食べたり飲んだり愛し合うことのような即時の報酬を提供するものではありません。多くの場合、仕事でパフォーマンスを高めるには、長い時間と努力が必要です。仕事の喜びや楽しみは、その努力の先にあるもので、喜びは遅れてもたらされます。仕事自体とそれが作り出す世界は、どちらも健全な心理的および社会的機能に不可欠です。

つまり、労働の報酬は深く生理学的なものであり、命や生存そのものです。
一方、仕事の報酬は深く心理的であり、内発的あり、本質的に社会的なものです。
しかし、残念ながら、資本主義は、「労働」の価値や喜びだけでなく、創造性といった「仕事」の喜びも奪いつつあります。

消費主義は生き方となり、瞬間的な楽しみや消費による外発的な快楽を私たちに追求するように仕向けます。加えて、最近のAI技術の進歩や、過度の合理性の追求などによって、私たちは労働のみならず、本来楽しみをもたらすはずの仕事さえも他の誰かやAIに効率的にやってもらって、その喜びや楽しささえも自ら放棄しようとしているのです。

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さいごに

この本はコロナウイルスのパンデミック前に書き始められたものですが、コロナ禍の中で書き進められました。そのため、制限された生活の中で多くの人たちが気が付いた本当に大切なもの、家族のつながりや、人との助け合い、内面の旅についても多く書かれています。今回紹介したハンナ・アーレントの「労働」と「仕事」の大切さも、パンデミックによって多くの人が気付かされました。

しかし、残念ながら、コロナが収束した今、私たちの社会はその方向には向かっていません。いまだにいかにして裕福になるか、いかにしてより多くのお金を稼ぎ、消費力を誇示するかにエネルギーを使い続けています。

ロナルド・レーガンやドナルド・トランプなどの歴代のアメリカ大統領は、人間の創造力や可能性は無限だと主張して、脱成長やポスト成長のような悲観論を激しく攻撃してきました。その他の国々の政治家たちの多くもそうです。しかし、物質的に限りもある地球上で、自らも生物学的に限界があることはより明確になってきており、その影響を誰も無視できなくなってきています。

資本主義の成功者の1人であるイーロン・マスクも地球の限界をはっきりと認めています。しかし、彼の解決策が、地球上の80億人の人たちの中のごく限られたいくらかの人たちを火星に送るための宇宙産業開発である一方で、私たちにとって本当の解決策はもっと根本的かつ身近なものです。

私たちに必要な、労働や仕事、人との交流、愛情、運動、リラックスした時間などは、そもそも多くのお金や資源を必要としない環境負荷のとても低い活動でありながら、私たちの内発的な充足感を満たすものです。

私たちに必要なのは、気候変動(climate change)ではなく、社会システムの転換(system change)です。
私たちが大切だと思うものに対する根本的な考え方の変化と、社会の仕組みの変化です。

この本には、ポスト成長のために、「○○を節約しよう」とか「□□をリサイクルしよう」などといったことはまったく書かれていません。それは小手先の対応策に過ぎません。

ポスト成長の社会への移行のために必要なのは、現在支配的な価値観や人生に対する考え方からの根本的な転換です。新しい制限や制約がある中で社会を再構築していくことです。そのためには全く違う人生のストーリーが語られなければならないのです。この本ではそのような人たちの人生のあり方が書かれています。

資本主義や物質主義で成功することで何を失ってきたか、私たちが目指すポスト成長の社会の姿は、過去に誰も語らなかったものでも、まったく新しい概念でもなく、古くから、数多くの先見性のある人たちが語ってきた未来の姿です。まったく新しい世界を作り上げる必要はなく、その人たちが残した糸を手繰り寄せればよいのです。

しかし、その実現が難しいのは、私たちの生活が限界を超えていると認めたくない、精神的にはより満たされても物資的に劣る生活を送りたくないという現状維持への執着心があるためです。そして、変化を望む人は権力を持たず、逆に権力を持つ人は変化を望まないためです。

ジョン・スチュアート・ミルは、「幸せは人とは、自分自身の幸せより、他人の幸せを心の中心に置いている人だ」と言います。しかし、他人の幸せを心の中心に置くのが難しいのは、私たちは常に他人と自分を比較して他人よりもよい生活を送りたいと思うからであり、また、恥とエゴに支配されているからです。

生活に必要な物が足りな過ぎていることは問題です。しかし、必要以上に持ち過ぎることも問題です。私たちは限界以上に持ち続け、求め続け、使い続けているのです。私たちに必要なのは、経済成長(growth)ではなくバランス(balance)です。バランスこそが繁栄のカギとなります。

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