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書籍紹介:普通であることの神話 Myth of normal

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2024年8月17日
  • Reading time:11 mins read

人生は、自分ではコントロールできないことだらけです。しかし、自分でコントロールできることもあります。コントロールできることとできないことを理解し、受け入れるのです。その上で、自分が影響を及ぼせるところに集中するのです。そして、影響を及ぼすことができるものに対して自分が責任を持つのです。そうすると、自分の力の大きさにも気付くことができます。

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何百万人もの人たちが同じ悪徳を共有しているという事実が、それらの悪徳を美徳にするわけではない。多くの過ちを共有しているという事実が、その過ちを真実にするわけではない。何百万人もの人たちが同じ精神状態を共有しているという事実が、その人たちが正気であることを意味するわけではない。
     ~ エーリヒ・フロム「正気の社会」

The fact that millions of people share the same vices does not make these vices virtues, the fact that they share so many errors does not make the errors to be truths, and the fact that millions of people share the same forms of mental pathology does not make these people sane.

     ~ Erich Fromm, The Sane Society

はじめに

以前、本サイトで、ベッセル・ヴァン・デア・コーク(Bessel van der Kolk、1943 – )が書いたトラウマに関する書籍「The Body Keeps the Score : Brain, Mind, and Body in the Healing of Trauma(邦題)身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」を紹介しました。2014年発刊の本ですが、海外では今も売れ続ける大ベストセラーです。

今回紹介する医師ガボール・マテ(Gabor Maté, 1944 -)が書いた書籍「The Myth of Normal: Trauma, Illness & Healing in a Toxic Culture(邦訳)正常という神話:有害な文化におけるトラウマ、病気、そして治癒」もトラウマを扱った本ですが、トラウマにとどまらない幅広いトピックスを扱った内容のとても濃い本です。(ただし現時点では、日本語訳版はありません)

実は当初はこちらの本を先に紹介しようと思って読み進めていました。しかし著者のマテが使っている単語が難しいことや、独特の言い回しがあって読みにくく、早々により読みやすいヴァン・デア・コークの本にスイッチし(汗)、そちらの本を先に読み終えて紹介した次第です。

ヴァン・デア・コークは、小児期のトラウマを「隠れた伝染病」と表現しました。小児期のトラウマは、がんや心臓病よりも深刻な問題であり、早期の予防と介入によって防がなければなりません。しかし、間違った治療が横行しており、特に治療薬の乱用については深刻な問題だと指摘します。ヴァン・デア・コークは、理性や認知の力、生理的機能、医薬品の効果的利用を組み合わせて対処する必要があると説きます。

ガボール・マテとヴァン・デア・コークはトラウマ研究の仲間で、マテも、ヴァン・デア・コークと同様の警鐘を鳴らします。

マテは、小児期の発達、トラウマ、自己免疫疾患、注意欠陥多動性障害、依存症などを専門にする医師ですが、現代医療は、これらの精神的な疾患に対して「何を」処方するかにフォーカスしていて、「なぜ」それがおきたのかを追求する視点が欠落していると言います。

「なぜ」おきたのかを知るためには、単に医学的な知識や経験だけでなく、心理学、脳科学、生物学、生理学、遺伝学から、資本主義や消費主義や社会環境、教育、過度の合理化やテクノロジーが人間関係や子どもの発達に及ぼす悪影響や、それぞれの人が歩んできた歴史や文化や家庭環境に関する幅広い知見を重ね合わせる必要があります。

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トラウマの誤解

私たちは一般的には、トラウマという言葉から、戦争や災害、幼児虐待などの出来事を連想します。
そのため、トラウマを負った人は、ごく稀で異常な出来事や極端な境遇の被害者であり、その他のほとんどの人たちはそうではないという誤解が蔓延しています。この点で、私たちは大きな見当違いをしています。

トラウマは、先祖、両親、社会、文化、個の特性、人間関係、子育て、教育、経済、政治といった様々な要因によって誰にでも引き起こされます。むしろ、トラウマの痕跡が一切ない人の方が異端と言えるでしょう。

別の問題として、私たちは「トラウマ」という言葉を時にとても軽々しく使うことがあります。
  「いやぁ、部長にあんなひどいこと言われてトラウマになっちゃうよ」
  「子どもの頃のトラウマがあって○○は食べれないんだよね」
などです。
「トラウマ」という言葉は私たちの社会で、ある種のキャッチフレーズになっています。この軽さが、この言葉の本来の意味を歪めたり、その深刻さを薄めたりしています。

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トラウマとは何か?

まず、根本的な質問として「トラウマ」とはいったい何なんでしょうか?

ガボール・マテは「内面の傷、つまり、困難な出来事によって自分の中に生じ、永続的に残る断裂や分裂」と定義します。つまり、トラウマは、ある出来事の結果として人の中で起こることであり、出来事そのものではありません。また、私たちに起きることではなく、私たちの中で起きることです。

「トラウマ」という言葉は、ギリシャ語で「傷」を意味します。ある出来事を起点に、その後ずっと先まで残る精神的な傷です。いくつかの傷は、言葉や思考が直接アクセスできない神経系の領域に深く刻み込まれます。そのため、私たちは意識することができません。脳の領域も含まれますが、体の他の部分も含まれます。手当されない限り、精神的、肉体的にいつまでも残り、その影響はいつでも、いつになっても表面化する可能性があります。

私たちが気づいているかどうかに関わらず、その傷の対処法が、その後の長い人生において、私たちの行動の多くを左右し、あらゆる種類の人間関係に影響し、私たちの社会習慣を形作り、世界に対する考え方に影響を与えます。

トラウマは、おそらく最も避けられ、無視され、軽視され、否定され、誤解され、手当されていない人間の苦しみです。

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2つのタイプのトラウマ

筆者のガボール・マテは、トラウマには2つのタイプがあると言います。

大文字の「T」で始まる「Trauma」つまり「大文字のTのトラウマ」と、小文字の「t」で始まる「trauma」つまり「小文字のtのトラウマ」です。

大文字のTのトラウマ」は、ヴァン・デア・コークなどの臨床医や学者などが一般的に使う意味のトラウマで、幼少期に起こった虐待やネグレクトや離婚、人種差別や抑圧などの過去に起きた明らかなネガティブな体験に対する自動的な反応と心身の適応を含みます。

それは通常認識されているよりもはるかに深い影響を及ぼしますが、その関連性は、心的外傷後ストレス障害などの特定の病気を除いて、現在主流の医学を従事するものの目にはほとんど見えません。

さらに特定しにくいのが、トラウマのもう1つの形である「小文字のtのトラウマ」です。

小文字のtのトラウマ」は、上記のような明白な苦痛や不幸を発端とはしないものの、一見普通の出来事、つまり、記憶に残るほどではない不幸や、満たされない感情的ニーズが、多感な子供時代に知らぬ間に傷を付け、その後の人生に痕跡を残すものです。
これには、仲間外れや、善意ある両親からの何気ない冷たい言葉や、繰り返される厳しい発言、あるいは単に大人との感情​​的なつながりが十分ではなかったことなどが含まれます。

多くの人たちが、大人になってから幼い頃を振り返ってみて、幸せな幼少期を過ごしたと思うかもしれません。しかし、その幼少期の節々には、自分でも気が付かない、将来に痕跡を残すブランドスポットが点在しているのです。皆さんも自分の行動や考え方と過去とのつながりをじっくりと深く振り返ってみてください。幼少期の何らかの出来事を今に引きづっていたり、過去における人との関わりが今の自分を縛っていることはないでしょうか?

「人とのつながり(attachment)」と「自分らしさ(authenticity)」との間の避けられない引っ張り合いが「小文字のtのトラウマ」の根源です。

つまり、周囲の人たちとの関係を維持しようとすれば、自分らしさを犠牲にして、彼らが望む人間像を演じる必要があり、逆に自分らしさを貫こうとすれば、周囲の人たちの関係が損なわれるかもしれません。しかし、私たちにとって、人とのつながりも、自分らしさも、どちらも無くてはならない根本的なニーズです。

自分が思っている性格でさえも、本当の自分でなく、誰かから押し付けられたものかもしれず、あるいはそれを察した自分が自らに課したものかもしれません。私たちが望むものでさえも、本当に自分が望むものではなく、社会からそれを望むように誘導された結果かもしれません。

「大文字の T のトラウマ」と「小文字のtのトラウマ」の間に明確な境界線があるわけではなく、むしろ連続していたり、重なり合っています。どちらも、自己の分裂と他人との関係の分裂を表しています。その分裂がトラウマの本質です。そして、私たちの多くが、多かれ少なかれトラウマの影響を受けています。つまり、私たちは、過去の出来事が体の奥底に及ぼした影響から抜け出すことができないでいるのです。ある意味、社会自体が分裂している現代において、トラウマがあることは異常ではなく、普通のことなのです。

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病気ではなくプロセス

放射線科医のデイビット・ウォルドロン・スミザーズはかつて次のように言いました。

交通渋滞が車の病気でないのと同じように、ガンは細胞の病気ではない。車の内燃機関を一生かけて研究しても、交通問題を理解する助けにはならない。交通渋滞は、運転中の車とその周囲の環境との正常な関係が崩れることによって起こるもので、車自体が正常に動いているかどうかに関係なく発生する。

トラウマも同じです。体の中で起きることは「流れ」であり「プロセス」です。
入力と出力があり、その多くは自分ではコントロールできません。
なぜなら、この世の中に生まれ出る時点で、そのプロセスはすでにだいぶ進んでしまっているからです。そして、生まれ出た後も、周囲の環境や文化にも大きく支配され続けます。私たちは私たちの心を築き上げた世界を変えることはできません。

しかし、そのプロセスを全くコントロールできないということでもありません。
大切なのは、そのプロセスを理解し、影響を与えることができるものとできないものがあることを理解し、受け入れることです。そして、影響を及ぼすことができるものに関しては自分が責任を持つのです。

病気は、この長いプロセスの一部です。私たちは突然病気になるのではありません。単純にこの時までは健康で、この時からは病気と線引きできるものでもありません。医師から診断される何年も前から始まっているのです。病気になるということは、私たちの核をなすニーズから何かが外れていることが明確になったということであり、これまでの出来事の集大成であると同時に、将来どのように展開するかを示す指標になります。つまり病気は私たちにプロセスの中の何かを教えてくれるものなのです。

症状を消すことを主眼とする現代医療の問題点はここにあります。何十年も自分と付き合ってきて、自分が自分のことを一番良く知ることができるはずです。しかし、現代医療は、その経緯を無視し、せいぜい5分か10分程度の診察で、その時に見える表面的な問題をなくそうとするだけなのです。

大事なのは、プロセスの中で、バランスと調和を見つけることです。

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回復する方法

トラウマや病気から回復するためには、全てを受け入れる(ホールネス:wholeness)必要があります。回復することは最終目的地ではなく進むべき方向であり、点ではなく線です。

回復すること(healing)は、改善(improvement)とは異なります。自己改善ではなく、自己を取り戻すのです。失われた自分を回復するのです。それは、より良い自分になることとは異なります。自分の中の痛みを認め、現在と過去を事実として、自分全体を客観的に受け止めるのです。

回復すること(healing)は、治癒(cure)とも異なります。治癒とは症状がなくなることです。回復とは全てを受け入れることです。つまり、私たちは治癒しなくても回復することができます。逆に症状が治癒しても、回復できていないこともあります。

回復する道筋は人それぞれに異なります。しかし、ある種の共通する原則は存在します。
マテはその原則を4つの「A」として紹介しています。

(1) Authenticity(自分であること)

自分であることとは難しい表現です。別の言葉で置き換えれば、「正直であること」、「偽りのないこと」などでしょうが、日本語にすると何となく浅く軽く感じてしまいます。実際、その真の意味を知る人も僅かです。
例えば、人生で「自分探し」とか「自分を見つける旅」という表現をする人たちがいますが、これは「自分であること」とは全く異なります。理想の自分を追い求めることは「自分であること」ではありません。自分であることとは、今の自分を深く知り、それを形作るのです。自分らしくあることとは、今を生きることであり、自分を受け入れることです。

(2) Agency(エイジェンシー)

これも的確な日本語にするのが難しい言葉ですね。。。自分自身の代理人になる、つまり「自分の存在に自分の自由意志で責任を持つ」ということでしょうか。エイジェンシーは、ある特性や性格を自分に当てはめることでもありません。性格はあなた自身ではありません。態度でも情動でもありません。自分自身であることすべてであり、そのことに責任を持つのです。

(3) Anger(怒り)

マテの言う怒りとは「健全な怒り」です。敵意、悪意、恨み、怒号、これらは健全な怒りではありません。健全な怒りとは、増長された怒りでも、慢性的なイライラでも、抑圧された怒りでもありません。
怒りを含めたすべての感情には役割があります。怒りに本来良いも悪いもありません。怒りは「望み」に近いかもしれません。

怒りを吐き出すのでも、無理矢理抑え込むのでもなく、その意味と役割を知るのです。全てを受け入れられるようになれば、怒りを道しるべとして利用したり、ガイドとして怒りから何かを得ることができます。

(4) Acceptance(受け入れる)

「受け入れること」、これはこのサイトでも繰り返し書いているとても大切なことです。あるものをありのままに受け入れるのです。それは自己満足や現状維持ではありません。すべてを受け入れる代わりに、何かをあきらめたり、妥協したり、何かに耐えることでもありません。
「○○はこうあるべきだ」とか「□□に違いない」という考えは「受け入れること」の対極にあります。それは「押し付け」です。今この瞬間、物事は今ある存在以外ではありえないのです。今起きていることをそのまま受け入れるのです。

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子供たちに対して

もし、あなたが小さいお子さんの親であるのならば、子供たちの成長過程で必要なニーズを満たすために、子どもとの調和と触れ合いが必要です。両親は子どもの成長に最も大きな影響を及ぼします。子どもたちに必要なのは、暖かさ、安心さに包まれて成長することです。スマホを片手で操作しながら子供たちに接するのはやめましょう。
ガボール・マテは、次の4つの子供たちのニーズを満たすことが重要だと言います。

(1) 子どもたちと愛情でつながれた深い関係性を保つこと
重要なのは、自分がどう感じるかではなく、子供たちがどう受け取るかです。この安心さがすべてのニーズの基本になります。

(2) 子供たちが自分らしくいる権利を主張することなく、自分自身でいさせるようにすること
愛情をもって接することよりも、親にとって自分を押し付けないことの方がはるかに難しいかもしれません。子どもに自分自身でいさせることで健全な成長をもたらすことができます。

(3) 子どもたちがあらゆる感情を持つことを認めること
特に、悲しみ、怒り、寂しさ、痛いといった感情を表現させることは大切です。つまり、子供たちが弱さやもろさを安心して伝えられるようにするのです。

(4) 子供たちを自由に遊ばせること
これは以前紹介した書籍「The Anxious Generation(邦訳)不安世代」にもありました。現代のテクノロジーの問題は、それが子供たちの成長に深刻な影響を与えていることであり、幼い子供たちにも簡単に手に入るとても近い距離にあるだけでなく、親自身がその深刻さを理解せずにむしろ積極的に与えてしまっているケースさえあることです。
子どもたちが健全に成長するためには、同世代の仲間たちと自由に遊ぶ必要があります。子どもにとって遊びは仕事です。遊びは、社会的スキルや問題解決スキルなど、大人になってから経験するさまざまな困難への適応性を高める大事な準備作業です。

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さいごに

今回、ガボール・マテが書いた書籍「The Myth of Normal: Trauma, Illness & Healing in a Toxic Culture(邦訳)正常という神話:有害な文化におけるトラウマ、病気、そして治癒」を紹介しました。本のごく一部しか紹介できませんでしたが、この本がトラウマというカテゴリーにとどまらず、広く人生そのものに対する向き合い方や社会の問題を広く深く示しているとお気づきになったかと思います。

この本を読むうちに、私は以前読んだロバート・サポルスキー(Robert Sapolsky)の「Behave:The Biology of Humans at Our Best and Worst(邦訳)行動:人間の最高と最低の生物学」を思い出しました。
サポルスキーは、私たちが取ろうとする行動は、すでに過去に起きたことに決定づけられていて、そこに自由意志はないと主張します。つまり、すべては私たちが生まれる前から長く長く続く人類の歴史や、生まれ出た環境や人間関係に縛られており、自分の意思だと思っていることでさえ、そのように考えるようにその他の数多くの要因によって導かれているだけだと言います。

自分の人生におけるほとんどのことは、自分ではコントロールできないのは事実だと思います。しかし、自由意志が全く働かないと思いたくはありません。マテが言うように、コントロールできることとコントロールできないことを理解し、コントロールできないことは受け入れるのです。その上で、自分が影響を及ぼせるところに集中するのです。そして、影響を及ぼすことができるものに対しては自分が責任を持つのです。
そうすると、自分の力の大きさにも気付くことができます。

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