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書籍紹介:ヘンリー・フォード「私の人生と仕事」My Life And Work

  • 投稿カテゴリー:組織が変わる
  • 投稿の最終変更日:2024年9月28日
  • Reading time:11 mins read

ビジネスは利益を生み出すために存在すると長く考えられてきました。しかし、それは間違いです。ビジネスは奉仕するために存在します。利益よりも奉仕が先に来るのです。ビジネスは、それが社会に役立つ場合にのみ正当化されます。権力、機械、お金、商品、これらは、私たちが生きる上で、社会をよくしてくれる場合にのみ役立ちます。

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はじめに

今日紹介するのは、アメリカの自動車メーカーであるフォード社の創立者であり、自動車王と称えられたヘンリー・フォード(Henry Ford, 1863 – 1947)の著書「My Life And Work(邦訳)私の人生と仕事」です。

本書は、フォード設立前から始まり、自動車用エンジンや大量生産ラインの開発、賃金向上、労働時間短縮、週5日労働制の導入などの福祉資本主義や、それまでは富裕層向けだった自動車を中流階級が購入できるものにしたT型フォード(Model T)の開発など、その成長と発展の道のりを詳しく述べています。

また、本書はそれだけにとどまらず、そのタイトル通り、ヘンリー・フォード自身のビジネス哲学や人生哲学も紹介しています。今回は、彼の哲学に絞って本書を紹介していきます。

この本が発刊されたのは1922年です。100年以上も前に書かれた本ですが、まるで昨日書かれたかのように、今を生きる私たちにも通じる内容だと感じることができるでしょう。

以前本サイトで夏目漱石の本を紹介した際にも、100年以上も前の本とは思えないと書きましたが、人生の原理、ビジネスの原則、そして私たち人間が抱える問題の本質は、当時と今とでそれほど大きく変わっていないのかもしれません。

なお、本書籍はパブリックドメインで、英語版ですがamazonの電子書籍は無料で読むことができますので、少しでもご興味のある方はご一読下さい。

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ヘンリー・フォードは、こう書きます。

私たちは変化の真っ只中にいる。変化は私たちの周りでゆっくりと、ほとんど気づかれないままに、しかし確固とした確信を持って起こっている。私たちは徐々に原因と結果を関連付けることを学んでいる。

私たちが混乱と呼ぶもの、確立されたシステムだと思われていたものがもたらしている混乱の多くは、実際には再生に近づいている何かの表面的な兆候にすぎない。

世間の見方は変化しており、過去の悪いシステムを将来良いシステムにするには、今までとは少し異なる視点が必要だ。私たちは、かつては頑固さを賞賛されたが、実際には単に鈍感だっただけのあの独特の美徳を知性に置き換え、甘ったるい感傷主義を捨て去りつつある。前者は頑固さを進歩と混同し、後者は柔軟さを進歩と混同している。

私たちは現実をより良く理解するようになってきている。充実した人生を送るために必要なものはすべてこの世にすでにあること、そして、それが何であるか、それが何を意味するかを知れば、より良く活用できるようになる。

それでは以下に、いくつかのトピックスにまとめて、ヘンリー・フォードのビジネスと人生の哲学を紹介していきましょう。

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私たちが期待するもの

私たちは、誰が何を持っていて、誰が持っていないかをあまりにも気にしすぎていて、個人の問題として取り扱うには大きすぎる問題を個人的な問題にしてしまいました。

経済問題には人間の本性が大いに関わっています。利己主義は、疑いなく人生のあらゆる競争活動に影響を及ぼしています。もし、利己主義が特定の階級に限られた問題であったならば、簡単に対処できたかもしれません。しかし、利己主義はすべての人間の本能の中に存在します。そして貪欲も存在し、嫉妬も存在します。

平均的なアメリカ人の裏庭には、アフリカの王様の領土全体よりも多くの道具や加工材料があり、平均的なアメリカの少年は、エスキモーの村全体よりも多くの道具を身の回りに持っています。
それらの中には、単純に買われ、所有されるだけで、ほとんど利用されないものも数多くあります。

私たちは、物質所有主義から脱却しつつあります。人生は金持ちになることが目的ではありません。莫大なお金と物を無駄なほど蓄えることに何の意味もありません。人間は人間であり、金持ちであろうと貧乏であろうと、同じ量と質の食べ物から栄養を得て、同じような重さの衣服を着ていれば十分です。また、人は、同時に複数の部屋に住むこともできません。すべてのものは地球から生産されます。無駄にしてはいけません。

この世の中には2種類の愚か者がいます。
1種類は、お金を蓄えることで何らかの大きな力をも蓄えていると勘違いしている大富豪で、もう1種類は、そのような階級から別の階級にお金を移しさえすれば、すべての問題が解決すると考えている改革者です。彼らは両方とも間違った方向に進んでいます。
貧困は公式では解消できません。貧困を解消するには、懸命に知恵を絞って努力するしかありません。

また、世の中には2種類の改革者がいます。
どちらも迷惑な存在です。改革者を自称する人は、物事を壊したがります。襟のボタンがボタン穴に合わないからといって、ワイシャツを丸ごと引き裂くような人たちです。ボタン穴を大きくしようとは決して思いつきません。このような改革者は、どんな状況でも自分が何をしているのかわかっていません。経験がなく、経験を積もうとも思っていません。社会をよくするためには世界全体を粉砕する必要があり、その後新しい世界が誕生すれば、すべてがうまくいくと考えるのです。

一方で、決して自らを改革者とは呼ばない別の種類の改革者もいます。この種類の改革者は十分な経験を積んでいますが、何の役にも立ちません。以前いた状態に戻りたがっていますが、それはそれが最高の状態だったからではなく、その状態について良く知っていてなじみ深いからです。

この世界を破壊することは可能ですが、新しい世界を構築することは不可能です。世界が前進するのを防ぐことは可能ですが、世界が後退することを防ぐことはできません。

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ビジネスは奉仕するために存在する

ビジネスは利益を生み出すために存在すると長く考えられてきました。しかし、それは間違いです。ビジネスは奉仕するために存在します。利益よりも奉仕(サービス)が先に来るのです。利益を生むことが悪いと言っているのではありません。正しく奉仕すれば、その報酬として利益を得ることができます。

ビジネスは職業であり、職業倫理が存在しなければなりません。それを破ることは人間の品位を落とすことになります。職業精神は、誇りから職業上の誠実さを求めるのであって、誰かに強制されるものではありません。

フォードがおこなってきたことはすべて、利益よりも奉仕が優先され、その存在によって世界をより良くするようなビジネスは高貴な職業であることを、仕事によって証明しようと努めることです。

フォードは、信条に従って製造を始めました。その信条は、当時業界では奇妙だと考えられました。私たちの中には、新しいものは何でも奇妙で、間違っているという考えから抜け出せない人もいます。信条を実行する方法は絶えず進化しています。しかし、原則を変える必要はありません。原則は絶対的に普遍的で、すべての人にとってより良い生活につなげることです。

国はビジネスのために存在するのではありません。そこに住む人たちやそこにあるもののために存在します。ビジネスは手段にすぎません。ビジネスは、それが社会に役立つ場合にのみ正当化されます。常に、社会から奪うものよりも多くを社会に与えなければなりません。そして、ビジネスの存在によって誰もが利益を得ない限り、そのビジネスは存在すべきではありません。

ビジネス、権力、機械、お金、商品、これらは、私たちが生きる上で、社会をよくしてくれる場合にのみ役立ちます。

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製造とは

製造は、安く仕入れて高く売ることではありません。公正に材料を購入し、最小限のコストでそれらの材料を消費可能な製品に変えて消費者に提供するプロセスです。

工場は、現場で働く人間と機械からなります。人が適切でなければ機械も適切には動きません。機械が適切でなければ人も適切には働きません。手元の仕事に必要以上の力を使うように要求するのは、誰にとっても無駄です。

生産は必要です。しかし、最も重要なのは生産の背後にある精神です。生産は真の奉仕の欲求から生まれるものです。

製造者は販売が完了した時点で顧客との関係が終わるわけではありません。むしろ、そこは、顧客との関係のスタート地点です。車の販売は単なる紹介にすぎません。

セールスマンが売った額に応じて報酬を受け取るのであれば、販売以上の努力を払うことは期待できません。まさにこの点で、フォードは最大のセールスポイントを作りました。フォードは、顧客はその車を使い続ける権利があり、したがって、何らかの故障があった場合、できるだけ早くその車を再び正常な状態にするのが私たちの義務だと考えました。

ビジネスの機能は、消費のために生産することであり、お金そのものや投機が目的ではありません。消費のために生産するということは、生産される製品の品質が高く、価格が低いことを意味します。つまり、製品は生産者だけでなく人々に役立つものであるということです。すでに生産されたものへの投機はビジネスではありません。それは多かれ少なかれ汚職に近いものですが、それを法律で禁止することはできません。

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競争はいらない

ビジネスにおいて競争の意識は不要です。他人からビジネスを奪おうとするのは犯罪です。なぜなら、それは自分の利益のために、仲間を引きずりおろし、知性ではなく力で支配しようとすることになるからです。競争のシステムは、生産の副産物である成功と富を主眼にしているように見えます。

私たちは、私たちがしていることをなぜしているのかという質問に十分な関心を払っていません。

進歩は寛大な競争から生まれます。悪い競争はある特定のグループの権力の拡大や独占であり、それは一種の戦争であり、完全に利己的です。
つまり、その動機は、製品に対する誇りでも、サービスで卓越したいという願望でも、科学的な生産方法に近づこうという健全な野心でもありません。それは、金銭的利益のために、他者を追い出し市場を独占したいという願望によって動かされます。そして、それが達成されると、常に質的に劣る製品に置き換えられてしまいます。

人は不景気になったとか経済が良くないなどと不満を口にします。タイミングが悪かったなどとも言います。

しかし、実際はそうではありません。自分たちのしている何かがうまくなくて、それを言い訳にしているだけです。実際、その不景気を生む経済システムを支えているのは自分自身です。

利益しか見ていないからそのような会話が生まれます。ビジネスには「良い」か「悪い」のどちらかしかありません。奉仕をベースにビジネスを見直す必要があります。新しいアイデアとは、利益をもたらすのではなく、多くの人たちに奉仕するアイデアです。もし利益しか見ていないのならば、ビジネスに存在する意義はありません。

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仕事とは

進歩は自分自身から始まります。
何気ない興味から強い目的へ、ためらいから決断力のある率直さへ、未熟から成熟した判断力へ、単なる素人から仕事に真の喜びを見出す労働者へ、目先の利益だけを追求する者から監視されなくても仕事を進める者へと進歩するとき、世界は進歩します。

責任のスケールが上がれば上がるほど、仕事は困難になります。人の仕事は、必ずしもその人自身が選んだ仕事とは限りません。人の本当の仕事は、その人が選ばれた仕事なのです。なぜなら、仕事は奉仕することだからです。

働くのは自然なことです。繁栄と幸福は誠実な努力によってのみ得られることを認識すべきです。仕事をうまくやれるほど幸せになれます。人間の問題は、この自然な流れから逃れたり、変えようとすることから生じます。この自然の原理を完全に受け入れること以上の提案はできません。

もちろん、働く人は皆、十分な余暇と心地よい環境を持つべきです。しかし、仕事が終わるまでは、誰も安楽に過ごす資格はありません。仕事の中には、大変なものもあります。しかし、仕事に安楽さを取り入れるのではなく、適切な管理によって、その仕事を軽減するのです。あらゆる工夫を凝らして、人が自分の仕事を自由に行えるようにするのです。

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自由

自由とは、それなりの時間働き、十分な賃金を受け取り、それに応じた十分な生活を送る権利であり、自分自身の生活の細かい部分を自分で決められる権利です。

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パートナー

肩書やお金は仕事の後に来ます。肩書やお金が仕事の前に来た場合、仕事は成長や奉仕を支えるためのものではなく、肩書やお金を支えるためのものになります。人は、妨げられることなく、自分が成長し、奉仕していると自覚できれば、どんなに些細な仕事にも、全神経と意志を注ぐことができます。

働く人たちはすべてパートナーです。それぞれの役割を、目的と、その目的を満たそうとする周囲の人たちのために尽くすのです。必ず誰か他の人の助けに頼らなければ仕事はできません。つまり、人は独立していません。すべての人たちは相互関係にあります。上司は部下のパートナーであり、部下は上司のパートナーなのです。そして賃金はパートナーシップに応じた分配です。

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アイデアについて

深刻な問題になっているのは、新しいアイデアを採用する際に、それが良いアイデアであるかどうかを慎重に調査しないままに軽率に採用していることです。アイデアは古いから良いというわけではなく、新しいから悪いというわけでもなく、その逆でもありません。古いアイデアがうまく機能するのであれば、証拠がもたらす重みはすべてそのアイデアに有利に働きます。アイデアはそれ自体価値があるものですが、それだけでは単なるアイデアにすぎません。アイデアは誰でも思いつくことができます。重要なのは、それを実用的な製品に発展させることです。

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専門家たち

フォードが自動車用エンジンを開発していた時、多くの賢明な専門家たちは、それが新しい道を切り開くとは信じていませんでした。専門家たちは、とても賢明で実際的なので、何かしようとすると、それができない理由を常に探し出します。専門家は、常に限界を知っています。だからこそ、フォードは専門家を決して雇いませんでした。

もし不公平な手段でビジネスを殺したいなら専門家を派遣することです。彼らは非常に多くのやらない理由に関するアドバイスを提示できるので、ほとんどの仕事をとめることができます。

フォードは「できないこと」にこだわる人を嫌います。彼は採用の際に、その人の過去の経験を気にしません。過去の経歴を理由にその人を拒否することはありません。そのため、完全に悪い人に会ったこともありません。彼が気にするのは、その人が将来何ができるかです。チャンスがあれば、その人の中には何か良いところがあります。
またどんなに優れた学歴を持っていても、最低の役職から仕事を開始します。最低の役職以外の役職に人を雇うこともありません。実力があるのならば、そこから、その実力を示すことができるはずです。
人の経歴ではなく、その人自身を雇用するのです。

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お金

金銭欲に駆られることは金銭を得られない最も確実な方法です。
正しいと信じることをして満足感を得るために奉仕するなら、その結果として金銭は自然に生まれます。
お金を持つことは絶対に必要です。しかし、お金を得る目的はその後の人生で楽をすることではなく、さらなる奉仕の機会を得るということです。フォードの考えでは、安楽な生活ほど忌まわしいものはありません。働くことなく、私たちの誰にも安楽の権利はありません。怠け者に居場所はありません。

多くの人たちが、人生の目的地を、無事に仕事を終わらせ、できるだけ早く引退して仕事から自由になることと捉えています。フォードにはこれが全く理解できません。なぜなら、人生は、安楽した時点から下降し始めるからです。仕事から離れ、石のように固まることが成功なら、怠惰心を喜ばせることができます。しかし、成長することが成功なら、毎朝新たに目覚めなければなりません。

よりよい生産手段を提供するという理由で資本家となった人たちは、社会の基盤の一部をなします。彼らは実際には自分自身では何も持っていません。単に他人の利益のために財産を管理しているだけです。
お金の取引を通じて資本家となった人たちは、一時的な必要悪です。彼らのお金が生産に使われるなら、彼らはまったく悪ではないかもしれません。
しかし、彼らのお金が分配を複雑にし、生産者と消費者の間に障壁を作ることに使われるなら、邪悪な資本家です。投機や不正な取引は、生産のプロセスを妨げるものです。

また、金融は仕事よりも先に来ることが多いため、仕事が殺され、サービスの基本が破壊されがちです。仕事ではなくお金を第一に考えると、失敗への恐怖が生じ、この恐怖がビジネスのあらゆる道を阻みます。やり方を変えること、あるいは自分の状況を変えることを恐れるようになります。

お金は、仕事のみによって確保されます。仕事が健康、富、幸福をもたらすということが完全に認識されたときに、お金はよく機能するようになるでしょう。お金そのものに大きな意味はありません。お金は手段です。

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さいごに

繰り返しますが、この書籍は100年以上も前に書かれたものです。しかし、皆さんにもピンとくるものはなかったでしょうか?フォードは4つの信条を書籍の最初と最後に繰り返し掲げています。次の4つです。

(1) 未来への恐れ、過去への崇拝をなくす
未来を恐れる人、失敗を恐れる人は、自分の活動を制限します。失敗は、より賢明にやり直す機会に過ぎません。誠実に失敗することは恥ずべきことではありません。失敗を恐れることが恥ずべきことです。過去は、進歩への道と手段を示唆する場合にのみ役立ちます。

(2) 競争を無視する
物事を最もうまく行う人が、それを行うべきです。他人からビジネスを奪おうとするのは犯罪です。なぜなら、それは自分の利益のために仲間の状態を低下させ、知性ではなく力で支配しようとするからです。

(3) 利益よりもサービスを優先する
利益がなければ、ビジネスは拡大できません。利益を上げることは本質的に悪いことではありません。利益は良いサービスに対する報酬として必ず得られます。しかし、利益は基礎であってはならず、サービスの結果でなければなりません。サービスを第一に考える人、つまり仕事を可能な限り最善の方法で行う人には、道は開かれています。

(4) 製造業は安く買って高く売ることではない
製造とは、公正に材料を購入し、最小限のコストでそれらの材料を消費可能な製品に変えて消費者に配布するプロセスです。

ヘンリー・フォードは書籍の中で、繰り返し、仕事とは奉仕すること(サービス)だと書いています。

私たちの多くがこの原則を見失っているのではないでしょうか?
特に、会社という組織の階段を登るにつれて、もはや顧客や社会に奉仕する意思や意図もなくし、逆に、部下や関係企業から奉仕されることを求める人たちのなんと多いことかと思います。そして、これは若い人たちの多くも例外ではありません。

今一度、自分は何のために仕事をしているのか、仕事とは何なのか、働くとは何なのか、考えてみてはいかがでしょうか。

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