マズローの欲求5段階説の最上位の欲求「自己実現」は、自己本位な自己の実現ではありません。自己実現する人たちは、1人の例外なく、自分の外側にある大義に関わっています。自分の中で最も大切な価値観に沿って行動することで、利己的でありながら、同時に利他的でもあり、その境界はなくなるのです。
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はじめに
アブラハム・マズロー(Abraham Maslow, 1908–1970)は、本サイトでも何度か紹介しているカール・ロジャーズ(Carl Rogers, 1902 – 1987)とともに、人の肯定的側面を強調した心理学であるヒューマニスティック心理学(人間性心理学、humanistic psychology)を代表するアメリカの心理学者です。
しかし、多くの人にとって、マズローと言えば、欲求の5段階のモデルでしょう。
マズローの欲求5段階説(Maslow’s hierarchy of needs)はあまりに有名で、インターネットで検索するだけでも、膨大な量の情報が見つかります。
今回はモデルそのものの説明ではなく、モデルの中で最高レベルの欲求である「自己実現(self-actualization)」に焦点を当てて詳細に説明します。
なぜなら、自己実現は、間違って解釈されたり、誤解されることが多いからです。
自己実現にフォーカスするため、モデル自体の説明はさらっと済ませています。モデルそのものをもっと詳しく知りたい方は他のサイトをご覧ください。。。
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マズローの欲求5段階説:Maslow’s hierarchy of needs
マズローの欲求5段階説は、人の欲求には5段階のステップがあるというモデルです(後年、ステップを追加し、6段階や8段階で表現されることもありますが、今回その説明は割愛します)。
① 5段階のうち、最も根本的で最も強力な欲求が「①生理的欲求」です。これは食べ物や飲み物や睡眠などの欲求で、そもそもこれが満たされければ、生理的に機能せず、人は生きていけません。
② 生理的欲求がある程度満たされると、生死にかかわるような危機から脱することができ、より安心な、経済的にも安定した生活、より良い暮らしへの欲求が生まれます。これが「②安全の欲求」です。
③ 生理的欲求と安全の欲求が十分満たされると現れるのが「③社会的欲求」です。社会的欲求は、社会の一員でいたい、何からのグループに所属していたいという感覚であり、人を愛し、人から愛されたいという欲求です。
④ その次に現れる欲求は「④承認欲求」です。自分は価値ある存在だとグループから認められたいという欲求です。それは、地位、名声、人気を得ることの欲求、自尊心を満たす欲求でもあります。
⑤ そして、最後に現れる、5段階の頂点に立つ最高レベルの欲求が「⑤自己実現の欲求」です。
マズローは当初(1)、低いレベルの欲求が満たされなければ、次のレベルの欲求には進まないと考えました。
例えば、安全の欲求が現れるには、生理的欲求が満たされなければならず、社会的欲求が生じるには、安全の欲求が満たされなければならないという具合です。
しかし、次の欲求が現れる前に、前の段階の欲求が必ずしも100%満たされなければならないものではありません。前の段階の欲求が「多かれ少なかれ」満たされると、その欲求は小さくなり、まだ満たされていない次の欲求が大きくなります。
人間の脳は複雑で、同時並行で多くのプロセスが進行しているため、さまざまな動機づけが同時に起こりえます。離婚や失業などの人生経験や社会的変化によって、階層が変動することもあるでしょう。
5つの欲求の関係は、あくまで相対的なもので、その順番は基本を表したものです。
ここまでがマズローの欲求5段階説に関する一般的な説明です。
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欠乏欲求(Dニーズ)と存在欲求(Bニーズ)
マズローは、自己実現以下の4つの欲求をまとめて「欠乏欲求(Dニーズ:D-needs)」と呼びます。
「D」は「Deficit」のDです。
なぜなら、この4つの欲求は、何かが不足したり欠如していて、それを満たしたり、補おうとする欲求だからです。
私たちは、食べ物がなければ空腹を感じ、住む場所がなければ身の危険を感じます。愛されていなければ孤独感を感じ、人から認められなければ自信を失い、無力感が生まれます。
生理的欲求が満たされなければ、人は生きていけず、他の欠乏欲求が満たされなければ、不安や緊張から抜け出すことができません。
欠乏欲求は「ネガティブ」な動機づけによるものです。ただし、このネガティブは「悪い」という意味ではありません。不足しているから「ネガティブ」なのです。
欠乏欲求に対して、自己実現の欲求は「存在欲求(Bニーズ:B-needs)」です。
「B」は「Being」のBです。
存在欲求は、何かが不足しているから生じるものではなく、人として成長したいから生じる欲求です。
たとえ欠乏欲求がすべて満たされても、私たちは自分らしくいられないと、新たな不満やストレスが生じます。
音楽家は音楽を奏でなければならず、芸術家は絵を描かなければならず、詩人は文章を書かなければなりません。すなわち、潜在的に持っているものを最大限に発揮したい、もっともっと本来の自分の姿でありたいという欲求が生まれます。
この欲求が、存在欲求であり、自己実現の欲求です。
これは「ポジティブ」な動機づけによるものです。このポジティブは必ずしも「良い」という意味ではありません。成長していくから、自分が自分でいることに近づくから「ポジティブ」なのです。
欠乏欲求は「生き延びる」ことであり、存在欲求は「成長する」ことです。この成長欲求が満たされると、人は自己実現と呼ばれる最高レベルに達することができます。
なお、マズローは「BニーズとDニーズ(B-needs vs D-needs)」以外にも「B価値観とD価値観(B-value vs D-value)」、「B認知とD認知(B-recognition vs D-recognition)」、「B愛情とD愛情(B-love vs D-love)」という表現も使います。
例えば、自分に不足しているものを満たしたり、補ったりしようとする他人への愛情や他人から求める愛情が「D愛情」で、自分とパートナーが本来の自分たちの姿でいようとするのが「B愛情」と言えるでしょう。
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「自己実現」の解釈
さて、ここからが本題ですが、マズローのモデルを知る多くの人が勘違いしているのが「自己実現」の解釈です。
「自己実現」と聞くと、自分のやりたいことを実現するとか、自分の夢を現実にするといった、自分中心、個人主義的な自己の実現をイメージする人が多いかと思います。
たしかに自己実現は、人が自分の可能性を最大限に発揮できるようになるためのプロセスです。
しかし、自己実現する人たちは、1人の例外なく、自分の外側にある大義に関わっています。外側の世界に参加し、深くかかわっています。それは運命が何らかの形で呼び寄せた、とてもとても貴重なものなので、自ら献身的に取り組むのです。
マズローは、自己実現度の高い人は「より深い対人関係をもち、自己と他者に対する寛容さ、民主的な性格、他者への奉仕と見なされる職業への献身」を含む人格的資質を持っていると書いています。自分のポテンシャルを達成し(achieve one’s full potential)、自分の心の声に耳を傾け、責任を持ち、正直です。
マズローは「セルフレス(Selflessness)」という言葉を使いますが、自己実現は自分主義ではなく利他主義です。
さらに言えば、自己実現する人は、自分が外の世界の一部となり、もしくは自分が外側の世界に広がっていき、その境界さえなくなっていくのです。そのような人は、利己主義と非利己主義といった二極化さえ超越するのです。
つまり、もしあなたが自分の好きな仕事をし、自分の中で最も大切な価値観に沿って行動するなら、あなたは利己的でありながら、同時に利他的でもあります。自己実現する人の境界線は、個人的な関心領域をはるかに超えて、世界に広がるのです。
基本的ニーズが十分に満たされ、より「全体(Wholeness)」を感じられるようになると、私たちは自分の強みを活かして何ができるか、どのように他者や外の世界に貢献できるか、それを満たそうとする無私の意欲と創造力が湧いてきます。
それは私たちに生きる意味と目的を与えてくれる最高レベルのニーズです。
そこに、仕事と喜びのような二極化や、対立した概念は存在しません。
仕事には、生業としての仕事(job, labor)と、天職であり使命としての仕事(calling, vocation)があります。
生業としての仕事は、生活のための仕事であり、外発的な欲求、欠乏欲求を満たすものです。
一方で、天職や使命は存在欲求で、それ自体のために行う内発的な欲求です。仕事が内発的欲求を満たすとき、仕事は喜びとなり、喜びは仕事となるのです。
自己実現する人は居心地よく両方の世界をあわせもつことができます。
なお、自分の使命や天職を知った人は、後戻りできません。一度見てしまったものを見ていないことにできず、知ってしまったことを知らないことにはできないからです。
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自己実現につながる8つの行動
以下は自己実現につながる8つの行動です。
第1に、自己実現とは、完全に、生き生きと、自分の利益ではなく他人の利益や共通の利益のために、集中と吸収をもって経験することです。
この体験の瞬間、人は全体として(wholly)余すところなく(fully)自分自身となります。それが自己実現の瞬間です。
第2に、人生は、次から次へとおきる選択のプロセスです。
自己実現とは、嘘をつくか正直になるか、盗むか盗まないかといった数多くの選択の場面で、日々、成長の選択肢を取っていく、自己実現に近づいていく継続的なプロセスです。
第3に、自己実現について語るということは、実現されるべき自己が存在するということを意味します。
しかし、私たちの多くは、両親や権威者や世間の声には耳を傾け、その人たちが良いと言うことをしようとしますが、自らの心の声には耳を傾けません。そのため、実現されるべき自己が分かりません。
第4に、疑問を感じるときは、正直になることです。
しかし、疑心暗鬼に陥ったとき、私たちはそんなに簡単に正直になれません。そんな時、私たちは、取り繕ったり、分かったふりをしたり、何らかのポーズをとってごまかそうとします。
そうではなく、疑問の答えを自分の内面に求めるのです。
それは自分で責任を取ることを意味します。人は責任を取るたびに自己を実現していきます。逆に自分に責任を取ることなく、自己実現することはできません。
第5に、恐怖にかられて選択するのではなく、成長のために選択するのです。
選択地点に来るたびに、小さなことをひとつ決断し実行します。それが積み重なって、自分にとって何が正しいのか、誰が妻や夫になるのか、人生の使命や運命が何なのかが決まっていきます。その瞬間瞬間で、自分自身に耳を傾ける勇気をもち、たとえ、自分の選択が、大多数の人たちが取る選択肢とは異なっていても、冷静に「いいえ、私はそうではありません」と言わなければ、人生を賢く選択することはできません。
第6に、自己実現は最終的な状態であるだけでなく、自分の潜在能力を実現するプロセスでもあります。
自己実現とは、自分のやりたいことをうまくやるために努力し続けることです。
第7に、自己実現への道のりで、人はピーク体験(peak experience)を経験します。
ピーク体験は、自己実現の最高の瞬間の体験で、最も幸福な瞬間、最高の喜び、驚きの一時的な体験です。体験していることにただただ集中し魅了されている状態です。
恍惚という感情的なものと、光明という知的な2つの要素がありますが、その両方が同時に存在する必要はありません。
実は、誰もがピークを経験しています。しかし、誰もがそれに気付いているわけではありません。それに気付くことは、自分とは何かを発見することの一部をなします。
第8に、自分が誰であるか、自分は何であるか、何が好きで何が嫌いか、何が自分にとって良くて何が悪いか、自分はどこへ向かっているのか、自分の使命は何なのか、何が心を開くのを妨害しているのか、防衛のメカニズムを特定します。
自分の防衛機能である心の壁を特定できれば、それを放棄することができます。
防衛機能は、私たちが不快に感じるものから自分を守ろうとする機能であるため、防衛機能を放棄することには、痛みを伴います。しかし、その価値はあります。自らの防衛機能を取り払い、自分全体が自分になるのです。
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もちろん、自己実現は人それぞれの方法で達成されますが、一定の特徴を共有する傾向があります。
自己を実現した者には、以下の15の特徴が見られます。
ただし、自己実現するために、これらすべての特性が必要というものではありません。
1. 現実を効率的に認識し、不確実性を許容する。
2. 自分と他人のありのままを受け入れられる。
3. 自発的に考え、行動する。
4. 自分中心ではなく、問題・課題中心で考え、行動する。
5. ユーモアのセンスが高い。
6. 人生を客観的に見ることができる。
7. 創造性に富む。
8. 文化化に抵抗し、意図的に型にはまらないようにする。
9. 人の福祉に関心がある。
10. 基本的な人生経験を深く理解できる。
11. 特定の人たちと、深く、満足のいく、対人関係を築くことができる。
12. ピーク体験をもつ。
13. プライバシーを必要とする。
14. 民主的である。
15. 強い道徳的・倫理的基準をもつ。
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さいごに
自己実現は、自分の可能性を達成することであり、完璧を目指すプロセスではありません。完璧な人間は存在しません。
マズローは、「自己実現とは程度の問題であり、小さな積み重ねの1つ1つである」と述べています。
自己実現の道は、少しずつ自分が何者であるかを知る道です。
それは、精神的な方向性や人生の道という意味だけでなく、自分特有の生物学的性質や、意識的な自分以外の自分がどのような自分であるかを知ることでもあります。
自己実現は、自分の可能性を達成しようとする、自分が自分となることを目指すプロセスです。
しかし、それを達成できる人は多くありません。マズローは、自己実現を達成する人は、1%とか2%にも満たないと書いています。
なぜ、これほどまでに自己実現を達成する人は少ないのでしょうか?
ほとんどの人は、自分の道ではなく、大勢の人が進む道を進むからです。
みんなが通る道ははっきりしていて、迷うこともありません。その安全で快適な道を進んでいる限り、周囲の人たちから非難されたり、不思議がられることもないでしょう。しかし、その道は「Dの道」です。
自分が何者であるかを知る道は、継続的な努力を必要とする先の見えない、草木が覆い茂った「Bの道」です。
ほとんどの人は、足りないものは見えますが、ありたいものは見えないのです。
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参考文献
(1) Abraham H. Maslow, “A theory of human motivation“, Psychological Review. 50 (4): 370–396., 1943.
(2) Abraham H. Maslow, “Motivation and Personality”, New York, Harper & Bros., 1954.
(3) Abraham H. Maslow, “Self-actualization and Beyond”, Center for the Study of Liberal Education for Adults, Brookline, MA. New England Board of Higher Education, Winchester, MA., 1965.
(4) Abraham H. Maslow, “The Farther Reaches of Human Nature”, Penguin Books, 1971.