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集団主義というより、同調主義、事なかれ主義、利己主義、超個人主義

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2023年10月24日
  • Reading time:7 mins read

日本は集団主義の国と言われますが、本当にそうでしょうか?突き詰めて見てみると、個人主義と集団主義の悪い所を掛け合わせたような、同調主義、現状維持主義、グループ主義、事なかれ主義、世間体主義、自分主義、利己主義、超個人主義に基づく文化が形成されているように思えます。

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はじめに

一般的に、アメリカなどの欧米文化は個人主義で、東アジア文化、特に日本は集団主義だと言われます。日本が集団主義であるという考えは、日本人自身にとって一般的であるだけでなく、外国人にとっても典型的な日本人のイメージになっています。

しかし、一方で、日本を集団主義的な国と単純に扱うのは正しくないかもしれません。認知心理学・社会心理学専門で東京大学名誉教授の高野陽太郎の著書(1)(2)(3)にあるように、心理学などの実証的な研究結果からは、必ずしも日本人は欧米人より集団主義的だと言うことはできません。

個人主義(Individualism:インディビデュアリズム)」と「集団主義(Collectivism:コレクティビズム)」に関する研究や議論は数多く見られますが、その中には、そもそも「個人主義」と「集団主義」の定義が明確にされていないものも少なくありません。まずは、これらの言葉の意味と違いを見ていきましょう。

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「個人主義」と「集団主義」

英語辞書「Oxford languages」によると、「個人主義(Individualism)」とは「自立していて他に依存しない習慣や原則」です。別の英語辞書「Cambridge」によると、「努力や責任を共有することよりも、各人の考えや行動の自由が社会の最も重要な資質であるという考え方」です。

一方で、「Oxford languages」では、「集団主義(Collectivism)」とは「集団がその中の各個人よりも優先される習慣や原則」です。集団主義では、個人は集団を構成しているメンバーです。グループ内の調和、人間関係・相互関係が重視され、集団の目的達成のために、メンバーは相互に責務を果たしあいます。

それぞれの特性を比較して見ていきましょう。

表:集団主義と個人主義の比較, adopted from (4)(5)

集団主義, コレクティビズム個人主義, インディビデュアリズム
「私たち」「私」
1人ひとりの個人には、集団の利益を守ることが求められる1人ひとりの個人の権利と関心に焦点がある
団結、無私、所属する集団のルールを守る自立と個人のアイデンティティが大切
個人の行動の自由や幸せを犠牲にしても、集団のより大きな利益のために努力する自分自身の幸せと目的がより重要だと感じ、個人の利益のために努力する
社会的な関係や役割で自分を表現する。例えば「私は長男だ。IT企業に勤めている」など自分のことを自分の特性で表現する。例えば、「私は面白い。営業職だ」など
関係性の流動性が低く、同じ関係が長く継続し、強く安定している。逆に新しい関係を築くことが難しい自己開示の機会を増やし、新しい関係を積極的に構築するために、エネルギーを費やす
個人のニーズより集団のニーズを重視する個人のニーズを重視する
自分を家族、組織、その他社会的集団の一員と考える自分を自己充足的、ユニークで自律した存在と見る
限られた数の集団に属し、それぞれの集団は多様な価値観や興味によって定義される多くの集団と関係を持ち、それぞれが共通の関心事を中心に動いている
集団への忠誠心と引き換えに、集団はメンバーを助け、保護する自分自身や近親者、自分が関心を持つ人たちの面倒を見る
個人のプライバシーよりも集団への帰属を重視する個人のプライバシーの権利を重視する
グループ内の調和を保つことが求められる自分の意見を言うことが求められる
集団内の人たちと集団外の人たちを区別する他の人たちも同じ個人として認める
周りの空気を読んだ発言をする。意見は集団としてまとめる個人としての意見が求められ、尊重される
ルールや規則や行動は集団によって決められるルールや規則は皆によって皆のために決められ、それに基づき個人が行動する
集団における役割を果たすこと、集団が成功することで満足を得る自分が設定した目的を達成することで満足を得る
集団の規範を違反することは恥の感情をもたらす集団の規範を違反することは罪悪感をもたらす
「私」という単語がなくても成り立つ「私」という単語が不可欠
関係の中で人の役割や人事が決められる能力によって役割や人事が決められる
教育の目的はふるまい方を学ぶこと教育の目的は学び方を学ぶこと
生徒には先生の言う事を聞き、クラスに馴染む事が求められる生徒には発言と独自性が求められる
集団内では関係性が重視されるが、集団外の人たちとは関係性はむしろ希薄である自分の目的達成のため、広く他の人たちと交流する

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「集団主義」というより「同調主義」「現状維持主義」「グループ主義」

以上、個人主義と集団主義の定義を確認し、様々な視点から比較して見てみました。
これを私たち日本人に当てはめて見てみると、集団主義にあてはまる特性も、当てはまらない特性もあるように思えます。また、むしろ個人主義にあてはまる特性もあるように思えるでしょう。
果たして日本は集団主義なのかと、大いに疑問を感じてしまいます。

全体的に見れば、今の日本では「集団の利益のために個人が努力している」ようには見えず、また、その見返りとして「集団が個人を守る」というよりは、「集団が個人を押さえつけている」ように見えます。
また、個人は個人で、集団の束縛から逃れたいが、それができず、集団の中にいることに安住しているようにも感じてしまいます。

社会の大きな変化によって、古くからある集団が機能しなくなってきている中、集団に真の利益をもたらすためには、メンバーに時に集団の規範から外れた行動、新しい行動を取ることが求められます。しかし、そのような集団の規範から外れた行動は、それがたとえ集団のためになる行動であっても、出る杭とみなされ、周囲から白い目で見られてしまいます。

集団に順応することが最重要視されるため、人たちは集団内の大多数の信念や考え方に反する新しい考え方を提示することを避けるようになり、また、集団に順応しようとしない人たちを忌み嫌うのです。
集団の中の個人は、相互に規範から外れた行動をしないようにプレッシャーをかけ合い、集団の未来のためにあえて自分の立場を危うくするようなリスクは避け、集団の前例に沿った行動をひたすらとり続けます。

その結果、集団も個人も、集団の利益のために努力しなくなります。
「集団の利益」よりも「集団の規範」を守ることが優先され、集団を変わらず維持し続けることだけのために同じ行動を繰り返すのです。
つまり、この点で、日本的集団主義は、個人の自由を犠牲にしてでも集団のより大きな利益のために努力する「コレクティビズム:collectivism」の集団主義ではなく、グループのためのグループ化、「グルーピズム:groupism」の集団主義(グループ主義)であり、相互同調主義であり、集団による現状維持主義なのです。
グルーピズム groupism」とは、集団のメンバーが個人主義を犠牲にして集団の規範に従った行動をする原則を示すものです。

集団の秩序至上主義の結果、人と違うことをするのを避け、人が違うことをするのを厭い、ただただ集団に居続け、同じことを繰り返し続けるのです。そのような集団では、死んだ魚みたいな目をした人たちのなんと多いことでしょうか。

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「集団主義」ではなく「事なかれ主義」「世間体主義」

日本人には、「人に迷惑をかけない」という徹底した姿勢があります。
ニコニコニュースで面白い記事を見つけました。

中国メディアの快資訊が書いた「なぜ日本人は人に迷惑をかけないことにこだわるのか」という記事を紹介したもので、「友人が病気で寝込んでしまった時、何か差し入れをする際には、中国だったら直接届けてあいさつを交わし食事をして帰るものだが、日本では玄関先に置いてきてあとからメールで相手に伝える。これは、病気の時は女性であれば化粧をしておらず、また部屋も片付けていないだろうことへの配慮だからだ」と書いています。

良く言えば、人への配慮が高いと言えますが、実状は、他人を思いやるというよりは「人に迷惑をかけないでおくことで、自分が要らぬトラブルに巻き込まれないようにしておく」とか「気が利かない人間だと思われたくない」ように見えます。
後で悪く言われて、自分が不利益をこうむらないように、何かをする時は、とにかく控え目にし、出しゃばらず、ミスせず、自分を目立たなくしておきます。調和を大事にするというよりは、とにかく出過ぎた真似をしないように、へまをしないように、細心の注意を払うのです。

もし良い意味での人への思いやりや、人への配慮であるならば、なぜ目の前で人が転んだり、具合が悪くなったのを見て、多くの人は声を掛けないでそのまま通り過ぎてしまうのでしょうか?

集団主義であれば、もちろん手助けするでしょう。しかし、手助けしないのは、不必要な面倒に関わりたくない、無駄に時間を取られたくない、トラブルに巻き込まれたくないからです。

これには、日本人の「恥の文化」も影響しています。恥ずかしいから「人を助ける」という人と違う目立った行動はしない考え方です。「他人の目」や「世間体」を気にするので、人と違った目立った行動が取れず、他の人たちの行動に合わせる、つまり多くの場合「何もしない」ことを選択するのです。

人に迷惑をかけたくないという極端な考えは「人に迷惑をかけたくないから、他部署を巻き込んだり、嫌な思いをさせてまで、新しい取り組みはしないでおこう」などのように、企業での現状維持の姿勢にもつながります。

また私たちには「他人に迷惑をかけたくない」という思いの強さと同程度の「他人から迷惑をかけられたくない」思いがあります。例えば、電車内で少し触れた位で舌打ちするような人がいますが、そのような人たちはマナーを指摘したいのではなくて、マナーを建前に使っているだけで、「俺に迷惑をかけるなよ」というのが本音なのです。

「人との面倒にかかわりたくない」「人から悪く言われたくない」、集団の調和というよりは、トラブルを避けるための「なかれ主義」に基づいた行動をみんなが取ることで、機能しない集団が維持されます。

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「集団主義」とは反対の「自分主義」「利己主義」「超個人主義」

これまで紹介したように、私たちには、集団主義というよりも、他人に迷惑をかけて、それがのちに自身に禍(わざわい)として降りかかったり、人にやっかいをかけてトラブルに巻き込まれたくない、という自分主義が見え隠れします。

さらに、私たちは、集団の中で自分のポジションを確保しておいて、集団外の人に冷たく対応することもあります。集団外の人たちに対しては、利己的で残虐な行動をも容易にとってしまいます。それは集団の利益のためではなく、自分を守るためのもので、集団に入っておくことで、集団の後ろ盾を得て、集団外の人に対して自分自身が優位性を獲得するためのものです。

つまり自分の利益を守るために集団の力を利用しているのです。いじめグループはまさにその典型ですが、集団主義であれば、このようなグループ外の無害な人たちに嫌がらせをしたり、排除するための集団化はありえません。

また、私たち日本人はとかく集団で行動したがりますが、これも自分1人で行動したくないから他の人たちを誘うという、自分の都合による場合があります。

私は以前アメリカで働いていたことがありますが、当時、ここはアメリカだから、自由の国だから、と個人主義を勘違いして、他人への敬意なく、自分勝手に振舞う日本人に出会ったことがあります。先ほどのリストにあるように、個人主義には「他の人たちも同じ個人として認める」、「個人的な意見が求められ、尊重される」背景があります。つまり、他人に対する敬意があります。個人主義は、それぞれの自立を前提にした行動の自由であり、自分の意見や権利を主張するだけでなく、他人の意見や権利も尊重するのです。
日本で捉えられている個人主義は、「自分の自由」だけが強調されて解釈されているように感じます。それによって他人がこうむる不自由にはお構いなしです。在米中には、日本人よりもむしろアメリカ人の方に、人への配慮を感じたことさえありました。

個人主義的な教育を受けた欧米人は、自分勝手に振舞うのではなく、自分の利益のために他人と協調的に取り組みます。これに対して、私たち日本人は、個人主義を曲解したり、時に集団の力を悪用して、個人主義的な人たちよりも利己的で身勝手な超個人主義的な行動をとるのです。

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さいごに

以上、見てきたように、日本では「個人主義」「集団主義」の悪い所を掛け合わせたような「同調主義」「現状維持主義」「グループ主義」「事なかれ主義」「世間体主義」「自分主義」「利己主義」「超個人主義」に基づく文化が形成されているように感じるのです。

もちろん、全ての人や集団がそうではありませんが、みなさんはどう思いますか?

以前、本サイトでは、集団(グループ)の弊害として「グループシンク」や「アビリーンのパラドックス」や「集団的無知、多元的無知」を紹介しましたが、これらはすべて上記の日本的集団主義の背景にあるものです。

個人は抑圧されストレスを抱えています。集団も現状から抜け出せず成長できません。
グループ主義は、形だけの中身のない調和や協力はもたらすかもしれませんが、成長に必要な変化を起こす力や創造性をもたらすことはできません。創造的なアイデアは他の人とは違う考えからスタートすることが多く、一度グループの規範を壊す態度や行動、真逆の思考が必要になります。

そして今回紹介したような、集団による否定的な判断を恐れて個人が自分のアイデアを表現できない集団、他人のアイデアを押さえつける集団、集団の維持のために存在する集団、このような集団は、日本にはいまだ驚くほど多く存在するのです。

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参考文献
(1) 高野陽太郎, “「集団主義」という錯覚 ― 日本人論の思い違いとその由来”, 新曜社, 2008/6.
(2) 高野陽太郎, “日本人論の危険なあやまち – 文化ステレオタイプの誘惑と罠”, ディスカヴァー・トゥエンティワン, 2019/10.
(3) 高野陽太郎, “『日本人は集団主義的』という通説は誤り“, 東京大学
(4) Geert Hofstede, “Dimensionalizing Cultures: The Hofstede Model in Context“, Online Readings in Psychology and Culture, 2(1)., 2011/12.
(5) Greet Hofstede, Gert Jan Hofstede, Michael Minkov, “Cultures and Organizations: Software of the Mind, Intercultural Cooperation and Its Importance for Survival”, McGraw-Hill, 2010

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