私たちは建設的に反対意見を伝えあうことができず、つい感情的な言い争いをすることがあります。しかし、建設的な反対意見の交換ができれば、それだけで議論が生産的になるわけでもありません。信頼関係を築き、対立点ではなく共通点を見つけなければ、その先には進めません。
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建設的に反論するには?:グレアムの反論のヒエラルキー
アメリカのプログラマーであり、起業家、投資家、作家でもあるポール・グレアム(Paul Graham)は、恐ろしく地味ながらも年間何千万ものビューを集める彼のホームページで、「How to disagree」というタイトルのエッセイを書きました。
そのエッセイの中で、グレアムは、最もレベルの低い反対意見のぶつけ方から、より高度な反論の方法まで、レベル0からレベル6まで7段階に分けて、意見の相違の伝え方のレベルを紹介しています。
この7段階の違いを知っていれば、相手が単に悪口を言っているのか、敬意を払うべき意見を述べているのか、その違いを見分けることができ、また、自分自身の反論のレベルを知ることもできます。
まず、そのグレアムの反論のヒエラルキー(Graham’s Hierarchy of Disagreement)の7段階の反論のレベルを紹介しましょう。
レベル0:罵倒 Name-calling
相手を罵倒することは、意見に対して反対を表明する最も低次元な方法でありながら、おそらく最も一般的な方法でもあります。私たちは皆、「口答えしないでよ!」とか「うるさい!」などの威圧的な反論を聞いた経験がありますね。
レベル1:人格否定 (アド・ホミネム) Ad Hominem
人格否定(アド・ホミネム)とは、相手の意見を否定するのではなく、その人の性格や人間性を否定する論法です。「だから君はダメなんだよ」とか「あなた最低の人間ね」などのコメントがそうです。
良いアイデアは部外者から生まれることもありますが、「君には権限がない」とか「門外漢でしょ」と言って、資格がないことを理由に意見を否定することも、このレベルの反論に含まれます。
一方で、「人格否定」と裏表をなす、身分や役職が高いから自分の意見は何でも正しいと主張する「人格肯定」の危うさにも気を付けなければなりません。
レベル2:伝え方の否定 Responding to Tone
その次のレベルの反対意見の伝え方は、内容ではなく、表現の仕方、論調、口調を否定する方法です。
例えば、仕事で作成した提案書で、その趣旨ではなく「レポートのまとめ方が悪い」とか「説明の仕方がよくない」などと言って否定する方法です。さらには「『てにをは』がなっていない」とか、名前や数字の些細な間違いを指摘することも、このレベルに当てはまるでしょう。
逆に、この論法を悪用して、内容の良し悪しを判断できないから、とりあえず体裁を否定しておくこともおこなわれることがあります。
もしあなたの主張が、そのような体裁の理由で否定されるとしたら、相手は大したレベルにはないと考えてよいでしょう。
レベル3:理由なき反対 Contradiction
この段階になって初めて「誰が、どう言ったか」という議論ではなく、「何を言ったか」に焦点があてられるようになります。しかし、レベル3ではまだ根拠を示すことなく、単に反対のケースを持ち出すだけです。
例えば、組織の人事施策に関する意見に対して、「当社の方針は社員のエンゲージメントとウエルビーイングに基づいているので大丈夫です」と、もっともらしい単語だけ並べて、具体的な根拠を示さない反論などがこれに当てはまります。
レベル4:反論 Counterargument
レベル4で、ようやく説得力のある反対意見が聞かれるようになります。レベル4では、レベル3の否定に推論や証拠が付け加えられます。
しかし残念ながら、反論が反論として成り立っていないこともよくあります。熱く議論している2人が、実は違うことを議論していたり、大筋で同意しているのに気が付かず細部に固執して反論し合っていることもあります。
レベル5:論破 Refutation
意見の誤りを論理的、科学的に証明してみせることで、反対意見に説得力を加えることができます。そのためには、その人の言葉を引用して、それがなぜ間違っているのかを説明できなければなりません。
ただし、引用があるからと言って、必ずしも反論として成立するわけではありません。正当な反論であるかのように見せかけるために一部を引用するものの、実はレベル1程度の反論だったということもあり得ます。
レベル6:核心部の論破 Refuting the central point
論破の威力は、何を論破するかによって決まります。重箱の隅を楊枝でほじくるような論破は意味がありません。重要なのは、相手の論点の核心に反論することです。ただし、核心をついているから常に正しいわけではない点にも注意が必要です。
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以上、レベル0からレベル6まで7段階の意見の相違のレベル分けを紹介しました。
このレベル分けのメリットは、反対意見を分類して、そのレベルを知ることができることです。これによって、ステータスが高い人でさえ、低いレベルの反論に終始している場合が多いことに驚くでしょう。
また別のメリットとして、人との議論や会議の場で、例えば「反論はレベル3以上にしてください」などのレベル設定ができれば、不誠実な反対意見を抑制したり、有意義で高度な議論の場の醸成に役立つでしょう。
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レベルの高い反論をする意図や能力があっても、いつも発揮できるわけではない
ここまでが、グレアムの反論のヒエラルキーの紹介です。
しかし、彼の理論は「反論の仕方」という点では役に立つものの、私たちを取り巻く実際の環境はもっと複雑なため、この理論をそのまま単純に当てはめて使うことができないケースも多くあります。
また、「異なる意見のまとめ方」や「相反する意見の解決法」という点では、物事の半分程度を見ているにすぎません。
例えば、能力的には高度な反論ができるのに、それを実践できない場合があります。
自分がレベル5や6の反論をしても、相手がそのレベルについていけなければ、相手は劣等感を抱いて、人間的に否定されていると捉えてしまう恐れがあります。
また、一方が正当な反論をしても、他方がまともな議論では勝ち目がないと判断し、恣意的に曲解して、下位のレベルの議論に引きずり込もうとすることもあります。
つまり、高度な反対意見の交換が成立するためには、お互いがそのレベルに見合った知識や能力や資質を備えていなければならないのです。
反論のヒエラルキーはピラミッド状の分布をしており、上のレベルに行くほど事例が少なくなります。つまり、数で言えば、レベル0やレベル1の議論を仕掛ける人が大多数なのです。そして、SNSなどの利用により、時に、数の理論が、少数派である正当な理論に打ち勝ってしまうことがあるのです。
SNSには、身分の隔てなく、同じプラットフォームで自由にコミュニケーションが取れるなどの数多くのメリットがあります。その一方で、その匿名性から「うざいから消えて」などレベル0の悪意ある反論がいとも簡単に出来てしまい、さらにそれが多くの仲間を引き寄せるというデメリットもあります。
そのような、情報が多くの人たちに瞬時に共有される環境では、情報が曲解されて瞬く間に拡散されるリスクがあり、正しい、正しくないの判断軸ではなく、「安全」で「無難」な意見の表明が選択されることがあります。そのような環境では高いレベルの議論は困難です。
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安心して主張し合える関係性
お互いが安心して正直に主張を伝えられる関係性がなければ、レベルの高い議論はできません。
心理的安全性ですね。
反論のヒエラルキーのレベル6の能力を有していても、心理的に安全な議論の場でなければ、その力を発揮することはできません。
生産的に意見をぶつけ合うには、信頼の絆が必要です。私たちは、多くの場合、何を議論するかに焦点をあてますが、議論の行方を決定づける関係性の構築について意識することはほとんどありません。
意見を上手にぶつけ合うには、感情を脇に置いて合理的に考える必要があると言われることがあります。
もちろん衝動的に感情をぶつけ合うことは生産的ではありません。しかし、感情を無視し、誰もが完全に理性的であるかのように振る舞うことは機能不全につながります。
互いの感情を共有し、理解し、共感する土壌がなければ、形式的な議論から抜け出すことはできません。多くの問題は本質的に感情的な問題でもあるからです。
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反論し合えることが最終的なゴールではない
きちんと反論し合えることは大切ですが、それはゴールではありません。大事なのは、理論武装して反論の達人になり、相手を言い負かすことが最終的なゴールでは決してないことです。
勝ち負けはゴールではありません。むしろ建設的なコミュニケーションはレベル6から始まるとも言えるでしょう。もし反論のヒエラルキーにレベル7があるとするならば、それは相手の立場に立って相手を理解しようとすることです。
建設的なコミュニケーションのためには、違いを明らかにして、意見を戦わせるだけでは不十分です。反対に、お互いを理解し、お互いの共通点を見つけるのです。お互いの意見が違っているほど、そして対立が深刻なほど、それが重要になります。たとえそれがどんなに小さく狭い共通点であってもです。共通点は必ずあります。
共通するものを見つけ、共通する目的を見つけ、ありたい姿を共有するのです。真の議論は、そこからスタートします。議論は違いから始まるのではなく、共通点から始まるのです。
共通点は必ず見つかります。共通する意見が見つからなくても、同じ感情を共有していると気づくかもしれません。感情が違っていても、それぞれが抱く感情を生み出している背景に共通の理解があるかもしれません。共通する大切な価値観があるかもしれません。そして、実は、同じような望みや希望を持っているかもしれません。
最も大切なのは、最終的には互いに協力し合うのであって、敵対し合うのではないという感覚です。
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最後に
グレアムの反論のヒエラルキーのレベル3は「理由なき反対」でした。このレベルになってようやく、「誰が、どう言ったか」という議論ではなく、「何を言ったか」にフォーカスがあてられると説明しました。
しかし、「誰が言ったか」と「何を言ったか」を切り離すことは実は容易ではありません。
どうしても、その発言は誰がしたのか、その人の立場やアイデンティティ、どのようなグループに所属している人なのかに影響されてしまうのです。
そして、たとえまったく同じ主張を聞いたとしても、誰の口からそれが発せられたかによって、評価を180度変えることさえあるのです。また、どんな人から発せられた言葉かによって、どんな発言も受け入れられないこともあるのです。
純粋に他人の意見を聞き反論するというのは、私たちが想像している以上に難しいのです。
簡単に人と意見を切り離すことができないからです。
そして、人と意見を切り離すことができない限り、広く協力しあうことも難しいのです。しかし、少なくてもそのことを知っておくことは建設的な意見交換の実現に役立つでしょう。
そして、繰り返しになりますが、相手に関心をもって信頼関係を築き、対立点ではなく、共通点を見つけ、そこから始めるのです。