●既に習慣化していることに、新しく習慣にしたいことを付け加える ●「毎日ランニングする」のように厳格化せず「週3回走る」から始める ●失敗した人を励ましたいなら、その人に、他の人を励ますようにお願いする ●変化の失敗の多くは、やるべきことを覚えられず忘れることにある。。。など、私たちが望む変化を定着させるアイデアを紹介します。
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はじめに
本書「How to Change: The Science of Getting from Where You Are to Where You Want to Be(変化の仕方:今いる所からいきたい所へ進む科学)」は、2021年5月に出版されています。現時点(2021年6月)で日本語訳版は出版されていません(追記:2022年10月に日本語訳版も発刊されたようです。日本語版のタイトルは「自分を変える方法 – いやでも体が動いてしまうとてつもなく強力な行動科学」です)。
著者のキャサリン・ミルクマン(Katy Milkman)は、ペンシルベニア大学ウォートンスクール(The Wharton School of the University of Pennsylvania)の行動科学の教授です。また、Googleや、アメリカ国防総省、アメリカ赤十字、ウォルマート、24 Hour Fitnessなどの会社や団体の従業員に変化をもたらすサポートもしてきました。
本書がベースにしている理論やモデルは、行動科学や行動経済学、社会心理学をかじっている方にとっては、目新しいものではないかも知れません。しかし、実験や、ケーススタディ、親しみやすいストーリー、やさしい言葉遣いや用語の定義を通して、個人が変化を実現するコツと落とし穴を分かりやすく紹介しています。
著者は、人の行動の変化の取り組みは、慢性疾患を治療するようなものだと述べています。行動変化と慢性疾患の治療、どちらも、身体に染みついた習慣からの脱却が必要になるからです。
更に本書は、変化の取り組みの多くはやめるとすぐに元に戻ってしまい、新しい変化や習慣を定着させることの難しさを指摘していますが、慢性疾患も同様に、患者の治療が完了したからすべてが終了するのではなく、治療は一時的な改善に過ぎず、その後新しい生活習慣が定着されなければ、真に治療したことにはならず、すぐに元の状態に戻ってしまいます。
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多くの早すぎる死の原因は個人の選択
デューク大学教授ラルフ・キーニー(Ralph Keeney)の、米国における、人の決断と早死との関係の分析によると、2000年の240万人の死亡ケースのうち100万人以上は個人的な決断に起因する可能性があり、その人がもし違う決断をしていれば回避できたものだとしています。(1)
心臓病による死亡の46%、癌による死亡の66%は個人的な決断がもたらしたものです。更に15〜64歳の全死亡の約55%も人の決断の影響によるもので、そのうちの94%以上はその当人の決断によってもたらされた死だとしています。
つまり、早期の死の根本原因は、癌や心臓病ではなく、喫煙や肥満でもなく、それらを避けるための賢明な選択をすることで自己破壊的な行動を克服したり回避できないことにあります。もし人がより良い選択をできるように決断の仕方を改善することができれば、多くの命を救うことができ、社会的、経済的にも効果的です。
長寿化が進んできている昨今、人間が更に長生きするためには、医療技術の進歩よりも、個人がより良い決断ができるようになることの効果の方が大きいと言えるかもしれません。
とは言っても、個人の選択を変えるのは容易ではありません。前回の書籍紹介「Pig Wrestling ブタとの泥の格闘:問題を解決し変化をもたらす方法」では、多くの人は、身についた古いものの考え方や習慣を捨てたり、古い心のフレームを新しい心のフレームに換えて、物事を違った角度から見ることができないと紹介しました。それだけでなく、実は既にやるべきことは知っているのにもかかわらず、単にそれを実行に移すことができずにいるだけという場合もあります。染みついた習慣からの脱却は難しいのです。
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Googleと言えども完ぺきではない
Google社は、従業員への手厚い福利厚生で有名です。ビリヤード台や卓球台、音楽ルーム、カフェテリア、診療所、ジム、パーソナルトレーニング、ヨガ、個人年金のサポート等々様々な支援が提供されていますが、著者は、Google社の人事部門副社長から、このような従業員向けのベネフィット(福利厚生)は必ずしも広く利用されているわけではないと聞きます。
Google社は、従業員を経済的な不安からの解放し、健康的なライフスタイルの支援やスキルアップの機会を提供することで、従業員の生産性や創造性の向上につなげ、従業員がより良い決断ができるように福利厚生等のサポートを充実させているのですが、それらが必ずしも広く使われているわけではないというのは、Google社と言えども、全てがうまく行くわけではないということですね。
日本でも、福利厚生と言えば、最近、健康組合のポイントインセンティブ制度を取り入れている会社は多いですね。健康記事を読んだり、歩数測定など健康活動に参加することで、金券やギフトと交換できるポイントがもらえる制度です。
そのようなポイントインセンティブ制度を、従業員全員を対象にしている会社もあるのではないでしょうか?
しかし、そもそも運動や食べ物に気を遣っている健康な従業員や、仕事が忙しく無駄な作業に時間を取られたくない従業員にとっては、健康アプリをいちいち開かなければならなかったり、健康記事のメールが頻繁に届いたりするのには、迷惑な側面もあります。健康上のリスクがある人のために導入された制度なのでしょうから、そのような人にターゲットを絞った方がより効果的なのでは?とも思ってしまいます。
著者はこのようなポイント制度など、ゲーム感覚の従業員への取り組みでも、会社から従業員に参加を一律に押し付けるのはよくある間違いだと指摘します。
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個人の変化の様々なアイデア
以下、著者が本書で紹介している人の変化を促すアイデアの一部をリストアップしてみます。
いったん白紙にする(Blank State):元旦や誕生日など人生の節目で一度リセットしてフレッシュスタートすることは、モチベーションを上げ変化を実行に移す良い機会となる。
欲求を束ねる(Temptation bundling):自分自身のためにはなると分かっていても、なかなか気乗りせず始めることができないようなことは、自分が好きなことに結び付けておこなう。例えばジムのトレッドミルで走りながら好きな映画を見るなど。
ゲーミフィケーション(Gamification):参加者の意欲をかき立てるためゲームの手法を応用する。ただし、自らゲームに参加したいと思えば効果があるが、人からゲームに参加することを強要されると効果がない。
コミットメントのツール(Commitment Devices):「引き落としできない銀行口座」、「もし目標を期日内に達成できなかったら、自分の理念と反する団体に寄付の送金が実施される」などの後戻りできないツールを使って、望ましい行動からの逸脱を強制的に回避する。
リマインダーに基づく計画(Cue-based plan):変化の試みの失敗の多くは、やるのを覚えておくことができず忘れてしまうことにある。人間は忘れやすいので、計画に自分へのリマインダーのメールなどの仕組みを入れ込む。ただしリマインダーを入れ過ぎると、リマインダーを無視するようになるため効果を失う。
実行の意図(Implementation Intention):「〇〇をする時に△△する」など、既に習慣化していることに、新しく習慣にしたいことを付け加える。
初期設定化(Defaults):意識しなくてもパソコン立ち上げ時に自動的にアプリが開くように設定するなど、デフォルトに入れ込むことで、忘れても大丈夫なようにしておく。
習慣(Habit):新しい行動をある期間以上継続すると定着し習慣になる。定着させるためにはルールを厳格にし過ぎず、自由度を設けておく。「毎日ランニングする」ではなく「週3回走る」にする、「6時に起きてランニングする」と厳格化せず「6時に起きられなかったら夕方走っても良い」でもよい。
おせっかいな忠告(Unsolicited advice):人は頼みもしないアドバイスを他人から受けると反感を抱いたり自信を失う。アドバイスするのではなく、他の人にアドバイスするように仕向けることで自信を持ってもらうことができる。例えば、失敗した人を励ますのではなく、失敗した人に、別の失敗した人を励ますようにお願いする。アドバイスを受けるのではなく、アドバイスすることで自信が取り戻せるだけでなく、人にアドバイスしたことを自分が実行できないとばつが悪いので、自分も頑張ろうと思う。
成長マインドセット(Growth mindset):本書は、以前私も紹介したキャロル・ドウェック著「マインドセット(mindset)」を引用していますので、詳細は書籍紹介をご覧下さい。
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いくつかの他の事例紹介
これらの変化を定着させるアイデアについて、本書が紹介している実例をいくつか紹介しましょう。
「欲求を束ねる(Temptation bundling)」の例として、筆者は、スポーツジムで、オーディオブックを無料でダウンロードできるサービスを始め、走りながらオーディオブックを聞ける機会を提供したことで、ジムに来る回数が増えたと紹介しています。
また、なかなか宿題や課題に取り組むことができず、面倒くさがってずるずる引き延ばしている場合には、お菓子を食べたり好きな音楽を聞きながら勉強するなど、いやなことを楽しいことと結びつけることを勧めています。
「リマインダーに基づく計画(Cue-based plan)」の例としては、アメリカのカジノホテルの駐車場担当者が、帰るお客さんに対して「シートベルトを締めて下さいね」と言うタイミングによって、実際にシートベルトを締める割合が違った事例を紹介しています。
車に乗り込む数分前に声をかけたグループと、声かけを全くしなかったグループでは、シートベルトを締めたドライバーの割合が55%にとどまったのに対して、車に乗り込む直前に声を掛けたグループでは80%のドライバーがシートベルトを締めたそうです。
リマインダーはできるだけ直前に行うのが効果的です。スケジュールに入れた仕事の予定や、ウエビナー、オンライン打合等、リマインダーメールを何度か受け取ることがありますが、午後の予定に対して、その日の朝一番のリマインダーでは、結局忘れてしまうため、効果が薄いそうです。
最も効果的なリマインダーは、できるだけ具体的で印象に残るようなリマインダーです。
選挙の投票日数日前に「投票に行ってくださいね」とお願いするよりは、「投票に行きますか?」と質問し、もしその答えが「Yes」であれば、「どこから投票所におでかけしますか?何時頃に出発しますか?何をした後に投票に行きますか?」というような具体的な更なる質問をリマインダーに付け加えることで投票率が上がったそうです。具体的なリマインダーによって、行動計画への落とし込みが促されるからです。
同様に、アメリカの中西部の会社で、インフルエンザワクチン接種のリマインダーのメールに、「接種会場に行くまでのルートや会場に行く時間を計画して書いておいてくださいね」とメッセージを入れただけでも、接種率は上がったそうです。
今現在(2021年6月)、コロナウイルスのワクチンを国民の多くに如何に早く接種してもらうかが重要になっています。しかし、先日(2021年6月8日)のニュースでは、日本政府が設置した大規模接種センターでのワクチン接種で、4.6%が予約しているのにも関わらず当日接種しに来なかったそうです。効果的なリマインダーの仕組みがあればこの数字は減ったかも知れませんね。
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さいごに
この本を読んで、私も「さて、自分も普段からやろうと思っているけど、なかなかやれていないことはないかな?」と考えてみて、「デンタルフロス(歯間ブラシ)を使おうと思っても、いつも忘れて、歯磨きの後にしないで寝てしまう。。」ことを思い出しました。実は、デンタルフロスの話は本書でも紹介しているのですが、本書では「歯磨きの後にフロスする」習慣づけを勧めています。しかし私はいつも歯磨きの後にやろうとして、結局しないで寝てしまうのです。
そのため、まず、今まで歯ブラシとフロスを洗面所の左右に分けて置いていたのを、フロスを歯ブラシホルダーの同じ穴に差し込んでおくように変えました。そして、歯ブラシを手にする前にフロスを手に取ることにしました。
このようにして今のところはフロスを使えるようになっています。
このまま続ければ、果たして、意識しなくてもフロスに先に手が伸びるように習慣化できるでしょうか?
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参考文献
(1) Ralph Keeney, “Personal Decisions Are the Leading Cause of Death“, Operations Research Vol. 56, No. 6, Operations Research in Health Care (Nov. – Dec., 2008), pp. 1335-1347