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ハピネス(幸せ)とウェルビーイングの違いと勘違い

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2024年3月12日
  • Reading time:10 mins read

「幸せ」と「ウェルビーイング」が誤解されている気がするので、今回は、両方の意味と違いを改めて見ていきます。一般的に、幸せには楽しさ、喜び、人生の満足度が含まれます。ウェルビーイングはより大きな概念で、人生の意味や目的、他の人たちや社会との関係が含まれます。

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はじめに

インターネットを見ている限り、日本では「幸福・幸せ・ハピネス」は瞬間的な短い喜びの感情を示し、「ウェルビーイング」はより長いスパンでの持続的な良好な状態と説明されることが多いようですが、どうも違和感を覚えます。
さらに言えば、ウェルビーイングの捉えられ方そのものにも違和感が。。。

【 日本での一般的な幸せとウェルビーイングの紹介のされ方 】

ハピネス(幸せ): 瞬間的な喜びの感情
ウェルビーイング: 持続的な良好な状態

たしかに、なにか良いことが起きた時、瞬間的に「幸せだな~」と感じるときはあります。
しかし、もっと長いスパンでの「幸せ」を感じることもないですか?

例えば、あるお年寄りが「幸せな人生だったよ」とか、ある夫婦が「幸せな結婚生活だったね」とそれまでの歩みを振り返っているのを聞いて、「あなたたちはちょっと幸せの意味を取り違えてますね。幸せとは一瞬の感情なので、人生という長い期間で幸せという表現を使うのは不適切ですよ!ウェルビーイングな人生だったというのが正しい言い方なんですよ!!」なんて反論する人はいないですよね。
また、「わたしは幸せです」と言う人も、おそらく一瞬の幸せを意味してはいないでしょう。

つまり、私たちは、普段の生活の中で、もっと広い意味で「幸せ」という言葉を使っています。

違和感を突き詰めると、比較的新しい概念である「ウェルビーイング」を「幸せ」と対比させてもっともらしく説明するために、作為的に「幸せ」という従来からある言葉を狭義的に定義しなおしているのではないかと感じます。

というわけで、今回は、「幸せ」と「ウェルビーイング」の意味を、改めて見ていきたいと思います。
正直に言って、両方の言葉とも一義的に定義することは困難で、むしろ様々な定義が存在しますが、できる限り分かりやすく整理したいと思います。

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幸せ・幸福・ハピネス(happiness)とは?

まず、「幸せ・幸福・ハピネス(happiness)」の意味から見ていきましょう。
「幸せ」には大きく分けて、次の2つの意味があります。

① 楽しさ(pleasure)や喜び(joy)など、その時その時に生じる感情

これは冒頭で紹介した意味の「幸せ」、つまり、瞬間的な喜びの感情です。
よい感情、望ましい感情があるときに私たちは幸せだと感じます。何かおいしいものを飲んだり食べているときや、楽しいことをしているとき、良いことが起きたときに感じる幸せは、この種の幸せにあてはまるでしょう。

なお、心理学者のエド・ディーナー(Ed Diener, 1946 – 2021)は、(1)ポジティブな感情が多くある状態と、(2)ネガティブな感情が少ない状態の2つの状態を分けて定義しています。

② 人生の満足度(life satisfaction)

もう1つの幸せの意味は、人生の満足度です。
①の幸せの感情が比較的短期的なものを指す一方で、②の幸せは、より長期的または総合的な人生の自己評価です。
さきほどの「幸せな人生だったよ」とか、「幸せな結婚生活だったね」はこの種の幸せでしょう。

オランダの社会学者で、幸福の科学的研究の先駆者であり、世界的権威であるルート・ベンホーベン(Ruut Veenhoven, 1942-)は、幸福を「自分の人生全体に対する総合的な評価」と定義しています。

また、ドイツの哲学教授のミケーラ・スンマ(Michela Summa)は、喜び(joy)と幸福(happiness)の区別を、「喜びが出来事に対する直接的な感情反応で、現在という瞬間と結びついているのに対して、幸福は人生の一時期や人生全体と結びついている」と述べています。

さらに、カリフォルニア大学リバーサイド校の心理学教授で、書籍「The How of Happiness(邦題)幸せがずっと続く12の行動習慣」の著者でもあるソニア・リュボミアスキー(Sonja Lyubomirsky, 1966 -)は、幸福を「喜び、充足感、肯定的な経験と、自分の人生が良いものであり、意味があり、価値があるという感覚との組み合わせ」と表現しています。

なお、幸せや幸福は、意識的であれ無意識であれ、自分が感じたり、決めたりするものなので、主観的幸福感主観的ウェルビーイング(subjective well-being)とも言われます。主観的なので、一般に自己回答式の質問で評価できるとされています。

「幸福感」には、生物学的な要素、個人の感情、認知、行動、倫理観、他人との関係、環境、文化、社会的、経済的な様々な要素が影響しています。

いずれにしても、幸せには、①楽しさや喜び、②人生の満足度、この2つの両方の意味が含まれていると考えてよいでしょう。瞬間的な喜びの感情だけが幸せを意味するわけではありません。
コモンセンスを働かせて考えてみても、私たちが「幸せ」や「幸福」という言葉に対して抱くイメージや感覚、実際に使うときの思いも、そのようなものではないでしょうか?

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ウェルビーイング(well-being)とは?

では次に、「幸せ」よりなじみが浅く、より広範囲な概念をカバーする「ウェルビーイング(well-being)」の意味を見ていきましょう。さきほど述べたように、幸福と同様に一義的な明確な定義はありません。また使われ方も多様です。

言葉が定義しづらく混乱しているのは、様々な分野の人たちが同じ単語を使っているという理由もあるでしょう。

例えば、これから紹介するWHOや国連などの国際機関は、ウェルビーイングを、各国の公共政策に活用するよう働きかけるために利用しています。一方で、心理学者や哲学者、神学者は、人間の仕組みやあり方としてウェルビーイングを見ています。
日本では、「企業」と「働く人」という括りで、ESG経営や人事目線で語られることが多い印象です。経済産業省自体が健康経営(ウェルビーイング経営)を推進してます。日本では多くのことが未だに企業中心、経済中心で動いていますからね。

では、ウェルビーイングのいくつかの代表する定義を紹介しましょう。

1.WHO(世界保健機関)の定義

実は、WHO(世界保健機関)は、ウェルビーイングそのものを定義してはいませんが、WHO憲章に 「健康(health)とは、身体的、精神的、社会的に満たされた状態(state of well-being)であり、単に病気や障害がないことではない」と書いています。
また、「精神的健康(mental health)とは、個人が自分自身の能力に気づき、人生で遭遇するストレスに対処でき、生産的に働き、地域社会に貢献できる健全な状態(state of well-being)であり、私たち人間が集団として、また個人として、考え、感情をもち、互いに交流し、生計を立て、人生を楽しむための基本的な能力である。これに基づき、精神的健康を促進し、保護し、回復させることは、世界中の個人、地域社会、社会全体の重要な関心事とみなすことができる」と書いています(「Health and Well-Being, WHO」より)。

重要なのは、ウェルビーイングには、社会に貢献している状態が含まれていることです。
日本で紹介されているウェルビーイングは、「自分」もしくは「自分たち」の持続的な良好な状態にフォーカスされている感があります。ウェルビーイングは自己完結するものではなく、自分の能力を利用して社会に貢献している状態も含まれていますが、この他人への貢献、社会への貢献の視点が日本では欠落しているような気がします。

2.OECD(経済協力開発機構)の指標

OECD(経済協力開発機構)では、各国のウェルビーイングを比較可能とするため、11の測定可能な指標を定義しています。そのうち生活の質を表す指標が8つで、物質的な状況を表す指標が3つです。

具体的には、生活の質を示すのが、①健康状態、②ワークライフバランス、③教育と技能、④社会的なつながり、⑤市民による参加と統制、⑥環境の質、⑦個人の安全性、⑧主観的ウェルビーイングの8つで、物質的状況が、⑨所得と富、⑩住宅、⑪雇用と仕事の質の3つです。

なお、先ほど、日本では社会貢献がウェルビーイングから欠落しているように感じると書きましたが、それを裏付けるように、日本に対する調査結果では、④社会的なつながり、⑤市民による参加と統制の項目が、各国の中で下位に位置しています。

より広く認知されている世界幸福度ランキングで有名な世界幸福度報告(World Happiness Report)は、14の分野で幸福度を評価する国連による調査ですが、OECDの指標と同様に、公共政策の指針として活用するように位置づけられているため、多様性、テクノロジー、エネルギー、政治といった、学術的視点とは異なる政策視点からの指標が設けられています。ちなみに日本は137カ国中47位(2023年)で、GDPによって測られる経済的順位(世界4位)をはるかに下回っています。

3.ポジティブ心理学に関連した定義

次に、ポジティブ心理学の創始者マーティン・セリグマン(Martin Seligman, 1942 -)が提唱するウェルビーイングを紹介しましょう。彼が提唱する有名なモデルにPERMA(パーマと呼びます)があります。PERMAは次の5つの柱となる言葉の頭文字を取っています。

Positive emotion(ポジティブな感情):喜びや満足感といった主観的ウェルビーイングだけでなく、さまざまなポジティブな感情が含まれます
Engagement(エンゲージメント):関心と興味をもって、主体的、自律的に活動に参加すること
Relationship(ポジティブな人間関係):ポジティブ心理学を二語で言い換えると「other people(他の人たち)」です。仕事、学校、家族、恋愛を問わず、他の人たちとの関係を切り離すことはできません
Meaning(意味・目的):自分より大きいものへの使命であり、人生の意味です
Achievement(達成・達成感):成功と習得を追求すること

セリグマンはPERMAとウェルビーイングを関連付けています。
つまり、ウェルビーイングとは、幸福感や充足感といったポジティブな感情を経験すること、自分の可能性を伸ばすこと、自分の人生をある程度コントロールできること、目的意識を持つこと、そしてポジティブな人間関係を経験することです。
セリグマンは、ウェルビーイングはこの5要素から構成されるものであり、どれかだけでは成り立たず、5要素が独立してそれぞれ寄与していると述べています。

当初、セリグマンは、ポジティブ心理学を幸福理論(Authentice Happiness Theory)に重ね合わせていましたが、途中から、ウェルビーイング理論(PERMA theory of Well-Being)に変えています。
それは、セリグマンが提唱するものが、以下のような理由から、一般的に「幸せ」という言葉に対して持たれている概念の枠に収まらなくなったからです。

  • 幸せであるために外交的である必要はまったくないが、幸せ(happiness)という単語が、陽気や快活に結びつけられてしまう恐れがあること。ポジティブな感情と陽気、快活であることには関係がない
  • 幸せの定義にある「人生の満足度」が利己的な満足度と解釈されてしまう恐れがあること
  • 人は、人生の満足度に対して質問されると、長期的な満足度ではなく、その時の満足度を答える傾向が高いこと
  • 「幸せ」という言葉に5要素すべては含まれず、特に「意味・目的」が欠けていること。例え貧しい地域に暮らし幸福度が低くても、エンゲージメントや目的意識が高く、総合的にみて「ウェルビーイング」が高い人たちもいる

なお、セリグマンは、ウェルビーイングを別の言葉で表現するなら、「happiness(ハピネス)」ではなく「flourish(フロリッシュ)」だと述べています。日本語では、「繁栄する、栄える、花開く」といった訳があてはめられます。

「Flourish」という言葉は、セリグマンが使い始めた言葉ではありませんが、ウェルビーイングにより近しい言葉として自身の書籍のタイトルにもなっています。

なお、セリグマンのウエルビーイングの定義、幸せとの違い、「PERMA」や「flourish」については、彼の書籍「Flourish(邦題)ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ」の中で詳細に述べられていますので、ご興味のある方はどうぞ。

4.その他の定義・分類

先に述べたように、様々な分野の人たちがウェルビーイングをいう言葉を使っているため、様々な定義や解釈や分類が存在します。そのうち、まだここまで取り上げていない代表的なものを紹介しましょう。

① まず、そのひとつが、ウェルビーイングを主観的要素客観的要素に分けるものです。幸せは主観的ウェルビーイングです。客観的要素には、収入、教育、外環境、健康などが含まれます。主観的要素は内的な要素で、客観的要素は外的な要素と言い換えることもできます。

② 哲学の分野では、ウェルビーイングは、ヘドニズム(hedonism, hedonic well-being)ユーダイモニア(Eudaimonia, eudaimonic well-being)の2つに分けられます。両方ともギリシア語由来の言葉です。
概して、ヘドニズムは喜びや快楽という意味の幸せを、ユーダイモニアは人生の満足感や目的意識に由来する幸せを意味します。ポジティブ心理学の分野では、ユーダイモニアを先ほど紹介したフロリッシュ(flourish)に重ねることがあります。しかし、ユーダイモニアには、人生の目的や意味の他に、美徳や賢明さのような道徳的特性も含まれるので、完全には一致しないという見解もあります。

③ ウェルビーイングを、以下のように時間軸で3つに分けているものもあります。

短期的なもの:喜び、悲しみなど、現在の感情や感覚。今ここで経験していること
中期的なもの:主観的な人生の満足度。人生全体に対する主観的な総合的評価
長期的なもの:人が繁栄するための意識的アプローチ。アリストテレス曰く「理性に従った高潔な活動」

先ほど紹介したユーダイモニアは、このうち3番目の長期的なウェルビーイングにあてはまります。短期的なウェルビーイングと中期的なウェルビーイングは、はじめの方で紹介した「幸せ」の定義と重なりますね。

つまり、幸せ・幸福・ハピネスには、この中の短期的なものと中期的なものが含まれ、ウェルビーイングには加えて長期的なものが含まれると考えると、理解しやすいかもしれません。

長期的には幸せでなくても、中期的に幸せであることもありますし、中期的には幸せでなくても、短期的には幸せであることもあります。その逆も真です。

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さいごに

え~、今回紹介した幸せやウェルビーイングとは、まったく関係なくてたいへん恐縮ですが、思う所あって書かせていただきます。。。(汗)

若い人たちには、ぜひ、英語を学び、オリジナルが英語の書籍や文献は、極力英語で読み、直接学ぶことができるようになって欲しいと思います。

今回のウェルビーイングに関してのみならず、以前、パーパス、ミッション、ビジョンについて書いたときにも感じましたが、海外由来の概念やモデルが日本に紹介されるときに、解釈が少しずれて入ってくることがあり、そのずれた解釈が起点となって、そのまま日本語で歪められて広まってしまうことがあります。

これからAI技術がさらに進化し、自動翻訳のみならず自動同時通訳までできるような時代がすぐにでもやって来るかもしれません。

しかし、それでもなお、英語で勉強して欲しいと思います。

なぜなら、その文章を書いた人が選んだ言葉を直接知ることで、ニュアンスや意図がダイレクトに伝わるからです。その背景を深く知ることができます。
残念ながら、日本語に変換された時点で、微妙な言葉遣いが失われたり、言わんとすることがずれたり、本質から外れてしまうことがあります。また、訳者や出版社や導入した人の違う意図が乗せられてしまうことさえあります。

つまり、厳密に言えば、外国語の文献は、日本語に訳された時点で、もはや一次ソースではなくなってしまうのです(まあ、英語でも怪しい情報はたくさんありますが。。)。

また、英語で入手できる情報量は日本語で入手できる情報量とは比較にならないほど膨大です。逆に言えば、グローバルレベルで見れば、日本語で入手できる情報はとっても限られています。グローバルで活躍するような人たちは、日本語しかできなければ、限られた武器で戦うのと同じです。
英語で読むことができれば、まだ日本には伝えられていない最新の情報にも触れることができます。インターネットの普及で、簡単に手に入れることができる情報の量が無限に拡がる中、永遠に日本語に翻訳されることのない重要な情報も膨大にあるのです。

もちろん、英語で直接コミュニケーションが取れることのメリットは言うまでもありません。

今回少し気になったので、さいごに書かせていただきました。

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