組織のリーダーに必要な素質、さらにはより良い社会の実現のために必要な感情として挙げられるのが、エンパシーとコンパッションです。しかし、この2つの言葉は、混同されたり、誤って紹介されていることが多々あります。心理学や脳科学、認知科学の知見も含め、その違いを見ていきます。
~ ~ ~ ~ ~
エンパシー(Empathy)とコンパッション(Compassion)
エンパシー(Empathy)は日本語では「共感」「同情」「感情移入」と訳されることが多いようです。
エンパシーは、欧米で「相手の靴の中に自分を置く」と表現されることがよくあるように、「相手の感情を共有すること」です。痛みなどの相手の感情を共に感じる、他人が感じるように感じる、無意識に近い感情です。
研究者によると、「ミラーニューロン」という神経細胞のネットワークが、エンパシーに一部関わっています。他人の行動を見て、自分も鏡のように同じ反応をすることから名付けられたものですが、例えば人の指が電動カッターでじわじわ切られるのを見ると(見たくありませんが)その痛みが伝わります。抱きかかえた赤ちゃんが笑顔になれば、思わず自分も笑顔になったりしますね。ご飯を食べに行って、向かいに座った友人と同じタイミングで、グラスを傾けたり、箸を持ち上げてしまうこともあります。
~ ~ ~ ~ ~
一方でコンパッション(Compassion)は、共感や同情することではなく、相手の痛みや苦しみを減らすために何ができるか、相手を助けたい、役に立ちたいと思う、より認知的な意思に近い感情であり動機です。コンパッションは、エンパシーのように相手の感情に自分を重ねるのではなく、相手の痛みや苦しみを取り除くという問題解決にフォーカスがあります。
端的に言うと、エンパシーが相手と「with」の関係である一方、コンパッションは「For」の関係です。
コンパッションは、エンパシーと違って日本語で一言で的確に表すのが難しい英語です。辞書を見ると「思いやり」や「慈悲」と訳されていますが、そのような訳では、相手の問題解決に役に立ちたいという所まで読み取ることはできないかもしれません。
エンパシーとコンパッションの関係についていえば、エンパシーが先に発生してからコンパッションが次に発生するという研究者もいますし、エンパシーとコンパッションは独立した感情で、エンパシーがなくてもコンパッションを持てるという研究者もいます。(1)(2)
ちょっと難しくなりますが、更に言うと、エンパシーとコンパッションの他に、「セオリー・オブ・マインド」という相手の感情を認知する第3の脳内ネットワークがあります。セオリー・オブ・マインドは「コグニティブ・エンパシー」とも呼ばれ、感情を伴なわずに相手の感情を「認知」することです。その対比として、エンパシーは「エモーショナル・エンパシー」と呼ばれることもあります。ここでは詳細な説明は割愛しますが、これらの3つには、それぞれ脳の異なる領域・ネットワークが寄与します(下図参照)。
図:エンパシー、コンパッション、セオリー・オブ・マインド(コグニティブ・エンパシー)
adapted from “The Neuroscience of Compassion”, Tania Singer (3)
例えば、能力の高い優れたセラピストは、これら3つの要素を併せ持っているかもしれません。
サイコパス(精神病質者)は、エンパシー、コンパッションが欠落しています。しかしサイコパスは、時に異常に高いコグニティブ・エンパシー(セオリー・オブ・マインド)の能力を有しており、相手の感情を巧みにコントロールします。
~ ~ ~ ~ ~
エンパシーの低下
私たちのエンパシーの能力は、21世紀に入ってから、急激に低下してきています。今から10年ほど前の心理学者の調査では、2009年の平均的なアメリカ人は、1979年の75%の人よりもエンパシーが低いという結果が出ました。この低下の原因は不明ですが、ITやSNSの台頭や人の多極化・偏向化の拡大が関係しているでしょう(4)。
エンパシーの低下が意味するのは、私たちは他の多くの人たちに共感できなくなってきている、関心を持てなくなってきているということです。
オバマ元アメリカ大統領は、大統領在任当時、公のスピーチでエンパシーという言葉を多用しました。オバマ元大統領は、国家予算の赤字や他の種々の問題よりも、人々のエンパシーが欠如してきていること「Empathy Deficit」こそが問題だと、繰り返し訴えてきました。(5)(6)
私たちは、共感を阻止する文化の中に生きている。金持ちになること、痩せること、若くなること、有名になること、安全でいること、そして楽しむこと、これらが人生の主たるゴールである文化の中に生きている。
~ バラク・オバマ
なお、他人の痛みを感じる脳の領域と、自分の痛みを直接感じる脳の領域は重なり合っているため、解熱鎮痛薬(アセトアミノフェン・パラセタモール)は、自分の痛みだけでなく、エンパシーも低減させるという面白い研究結果もあります。(7)(8)
~ ~ ~ ~ ~
エンパシーは諸刃の剣
エンパシーが大切だ、エンパシーが失われてきていると説明しておいて何ですが(汗)、エンパシーには注意しなければならない側面があります。総じてコンパッションは問題解決に望ましい感情である一方で、エンパシーには良い面と悪い面、両方の側面があるからです。
まず、エンパシーを強く持ち「私もつらいわ~」「心中心からお察しします」と相手に同情しても、それ自体が相手が抱える問題を解決することはありません。
さらに、強く相手に同情し過ぎ、相手の感情が完全に自分に「伝染」してしまうと、自らも精神的にダメージを受け、相手を助けるどころか、それが精神的苦痛となり自分のメンタルまで衰弱させてしまいます(empathic distress)。また、例えば自分の子供が患者であった場合など、医者が患者に対するエンパシーが高くなって、感情移入し過ぎると、正しい判断や施術ができなくなってしまうかもしれません。
また、さらに深刻な問題は、エンパシーにはバイアスがある点です。
例えば、あなたの家のすぐ近所で交通事故が起き、あなたと仲の良い知り合いが重体になりました。この事故はあなたに強いエンパシーを引き起こします。
一方で、世界では多くの幼い命が病気や食料不足で亡くなっていきます。しかし、あなたは地球の遠いどこかで亡くなっていく名も知らぬ多くの子供たちには、さほどエンパシーを感じません。
私は以前「児童婚の問題 ~ 幼すぎる花嫁たち」の問題を記事に書きましたが、児童婚が日本国内で自分の身の回りの子供たちにも起きれば、胸が張り裂けそうに感じるかもしれませんが、遠い南アジアやアフリカの多くの女の子たちに起きている事実を知っても、同じように感じる人はあまりいません。エンパシーには、感情移入の対象に関するバイアスがあるからです。
つまりエンパシーは特定の人や近しい人、「仲間」への共感を引き起こす一方で、その他の「仲間以外」「グループ外」の人たちには引き起こされないのです。エンパシーは諸刃の剣であり、公正で道徳的な公共の意思決定を阻害し、社会の断裂をもたらす可能性があるのです。
私は絶対に塊(かたまり)を見て行動しない。1人を見て私は行動する。
~ マザー・テレサ
~ ~ ~ ~ ~
私たちに必要なもの
以上、エンパシーの負の側面を紹介しました。しかし、それでもなお、私たちにはエンパシーが必要でしょう。
人の助けとなるためには、少なすぎることも過剰でもない、適度で公正なエンパシーが必要です。ただし、エンパシーだけでは行動に繋がりません。行動のためにはコンパッションが必要です。
バイアスの少ないエンパシーを育てるには、世界中の色々な場所や多くの人々、様々な分野やグループの文化や問題、価値観に、興味、関心、好奇心を持つことが必要でしょう。殻に閉じこもり、他人を理解せず、自己防衛に必死になる人には、残念ながらエンパシーは育ちません。
成功するリーダーになるためにも、エンパシーとコンパッションの両方が必要です。
リーダーには共感する能力が求められます。会社などの組織をまとめるためには、組織内のメンバーへのエンパシーが必要でしょう。組織のメンバーの感情を理解し、共感し、共感されることで、求心力のあるリーダーとなって組織をまとめることができます。
さらに、もし組織がその業績や成長のみならず、社会問題に真剣に取り組み、真の問題解決に貢献しようとするのならば、コンパッションも不可欠です。コンパッションとは利他主義であり、心理的にあまりつながっていない人たちも人として差別なく助けたいという意志です。普遍的な思いやりがなければ、「グループ内」の問題だけに関心を示して、ごみを自分の庭から隣の庭に掃き出すように、自分の身の周りの問題だけ解決してすべてを解決したつもりになって、真の問題解決からは程遠い、問題を「グループ外」の人たちに押しつけるだけの結果になるのです。
~ ~ ~ ~ ~
参考文献
(1) Paul Bloom, “Against Empathy (Forum)“, Boston Review, 2014/9.
(2) Paul Bloom, “Against Empathy (Forum Final Response) “, Boston Review, 2014/8.
(3) Edwin Rutsch, “Understanding Empathy and Compassion, Tania Singer“, Center for Building a Culture of Empathy
(4) “How to increase empathy and unite society“, economist.com, 2009/6.
(5) “Barack Obama and the empathy deficit“, The Guardian, 2013/1.
(6) “Obama Empathy Speech Index“, Center for Building a Culture of Empathy
(7) Dominik Mischkowski, Jennifer Crocker, Baldwin M. Way, “From painkiller to empathy killer: acetaminophen
(paracetamol) reduces empathy for pain”, Social Cognitive and Affective Neuroscience, 2016 Sep; 11(9) 1345–1353, 2016/5.
(8) Shankar Vedantam,”Researchers Examine Why Tylenol Affects Empathy“, NPR, 2016/7.
(9) Kim Armstrong, ‘I Feel Your Pain’: The Neuroscience of Empathy“, Association for psychological science, 2017/12.
(10) Tara Well, reviewed by Lybi Ma, “Compassion Is Better than Empathy, Neuroscience explains why“, Psychology Today, 2017/3.
(11) Adi Jaffe, eeviewed by Ekua Hagan, “A Look in the Mirror Neuron: Empathy and Addiction, Research links mirror neurons with aspects of both addiction and recovery“, Psychology Today, 2019/7.
(12) Jason Marsh, “Do Mirror Neurons Give Us Empathy?“, The Greater Good Science Center at the University of California, Berkeley, 2012/3.
(13) Allan Schwartz, “Compassion vs. Empathy“, www.mentalhelp.net (American Addiction Centers)