「人は変化に抵抗する」と言いますが、むしろ、変化に適応するため「創造的なもがきの中にいる」という表現の方が正確な場合があります。「抵抗」は人を動かなくしますが、「創造的なもがき」は人を前に進めようとします。その奮闘の過程で人を勇気づけたり自信づけるのがチェンジマネージャーの役割であり、目的地を示し希望を与えるのがスポンサーの役割です。
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はじめに
本サイトのプロフィールにあるように、私はチェンジマネジメント系の資格を2つ持っていますが、チェンジマネジメントはまだ日本ではなじみが薄いですね。海外ではチェンジマネージャーという役職もありますが、日本国内では外資系を中心とした一部の企業に限られています。
チェンジマネジメントは、組織を対象とした変革の管理手法です。組織に変化を起こし、起こした変化を軌道に乗せ、定着させるまでの包括的な管理と支援を行うマネジメント手法で、特に、社員に変化を理解してもらい、変化を動機付け、推進し、定着させるための人的要素に主眼を置いた改革のためのフレームワークです。
本サイトではこれまでもチェンジマネジメントに関する書籍を紹介してきましたが、今回紹介する書籍「Change Management that Sticks(邦訳)変化を定着させるチェンジマネジメント」は、30年のチェンジマネジメント実務者としての経験をもつバーブ・グラント(Barb Grant)が2023年に書いた書籍です。
チェンジマネジメントと聞くと、何か学術的や理論的で、固く小難しいイメージをもつかもしれませんが、この本は意味のある変化をもたらすのは人のソフト面での対応であり、コミュニケーションであり、会話であると強調しています。
本書は以前も本サイトで取り上げたステークホルダー分析やチェンジ・レディネスなどの、いわゆるチェンジマネジメントのプロセスや手法についても実務的な面から具体的に紹介しているのですが、ここではそれらの手法は深堀りせず、ソフト面を中心に紹介していきます。
なお、現時点で本書の日本語版は発刊されていません。
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チェンジマネージャーと歌手の仕事は同じ
著者のグラントはユニークな経歴を持っています。なんと彼女は、当初プロの歌手でした。
彼女は歌手としてのトレーニングの費用を捻出するために、情報管理の仕事をしたり、マニュアル作成に携わっていましたが、そのうち、システム導入のプロジェクトマネジメントにも深く関わるようになります。
彼女は、プロの歌手としての仕事と、企業に変化をもたらすエージェントとしての仕事に大差がないと感じるようになります。
プロの歌手としては、人と人とのつながりを感じさせる瞬間を作り出すことが大切です。そのつながりは、表面的なものではなく、本物でなければ、お客さんに感動をもたらすことはできません。
チェンジマネジメントも同様です。相手が経営者であろうが、パートナーであろうが、内部や外部のユーザーであろうが、人と人との本当のつながりがなければ、組織に本当の変化をもたらすことはできません。歌もチェンジマネジメントも、心や気持ちが通じなければ成功しないのです。
関係する人たちの感情を理解し、それを尊重しなければなりません。変革がうまくいくかどうかは、関係する主たる人たちの感情が取り組みとアラインしているかどうかです。
歌手は強制的にオーディエンスを感動させることはできません。できるのは、ひとりひとりの観客のために環境を整え、ひとりひとりの心に訴えることで、後はオーディエンス次第です。
変革の取り組みも同じです。チェンジマネージャーの仕事は、変革を強要することではなく、変革に関わる人たちのためにコンディションを整えること、それぞれの人たちにとって未来の形が現在よりも魅力的で、自ら変わりたいと思えるように助けることです。
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本書のポイント
以下に本書のチェンジマネジメントに関するポイントをいくつか箇条書きにしてまとめました。「いくつか」と言いつつ、19もありますが(汗)。結局、優れたチェンジマネージャーというよりは、優れたマネージャーに共通するものがほとんどなんですけどね。
- 変革の規模や金額に関わらず、成功する変革の取り組みは、その取り組みの価値の理解と、感情との結びつき、行動を変えることを受け入れることから始まる
- 多くの変革の取り組みが、人が持つ価値観や感情を無視している。自分の価値観や感情と相反する変革に人の心はついていかず、気持ちを乗せることもできない
- 変革の主導者やリーダーがもつ価値観や感情を押し付けても、下の人間は受け入れることができない。立場によって受け止め方は異なる。共感できるような言葉に置き換えて説明する必要がある
- 変革の取り組みで大事なのは、人と人との深い関係を構築すること
- 取り組みの主唱者(スポンサー)は言動を一致させる。そのために取り組みの本質を理解しなければならない
- チェンジマネージャーは変革のチアリーダーであり、セールスパーソンであり、推進者である。チェンジマネージャーは自分が共感できない変革にエネルギーを注ぐことはできない。変革を推し進めるために、自分が大切にしている価値観を知り、それを変革の取り組みと結びつける必要がある
- チェンジマネージャーは関係者に対する言動のすべてに「変わっても大丈夫」というメッセージを乗せ、不安になっている人たちを安心させる。安心させた次のステップで、実際どう変わるのか「HOW」を示す
- 優れたチェンジマネージャーと優秀なコンサルタントは異なる。どのようなバックグラウンドを持つ人でも、コモンセンス(普通の感覚)を持ち、自分のことをよく知り、人の話を聞き、相手の立場に立って理解することができ、目的を成し遂げたいと強く思う人であれば、誰でも優れたチェンジマネージャーになれる
- 人の話を聞き、本音を知ることができれば、何をすべきかは見えてくる
- チェンジマネジメントはツールを使うことではない。ツールは分析したり整理したり進捗を把握するために使うものに過ぎない
- チェンジマネジメントは人を読むことではないが、人や空気や人間関係を読む能力は高い方がよい
- チェンジマネジメントの仕事は物事を複雑にすることではなく、むしろシンプルにすること。シンプルにしたものをまとめ上げること
- チェンジマネージャーは誠実さと自信で、関係者から信頼を得る。変革の取り組みは必ずうまくいかない局面にぶち当たる。信頼の貯金を増やしておくことで、乗り切ることができる
- 大きな変革ではアジャイルとウォーターフォールの手法を併用するが、最初に、取り組みに関わる人たちが全体像を知る必要があり、その点で一般的なアジャイルとは異なる
- 変革が成功するためには、変革に関わる誰もが、今ある状態(be)と、将来ありたい状態(to be)の違いを明確に理解していなければならない
- 経営者や主唱者などのスポンサーは、最初は不安になって周囲に二の足を踏ませたり、声を荒げて他の関係者を委縮させてしまいがちなので、チェンジマネージャーはできるだけ早くスポンサーに方向性を示し安心させる必要がある
- 一方で、その他のステークホルダーに関しては、時が解決することもある。人間は適応する動物なので、最初は違和感があっても、次第に何事もなかったかのように受け入れることも多い。状況によっては、時を味方に付けることも必要
- 変革の取り組みを導くために、関係者の感情を理解することは大切だが、感情に気を遣いすぎるとグダグダになり進まなくなる。時に切り開いて進める力が必要
- 人に印象を与えるのは、言葉は7%だけで、話し方が38%、話している時にどのように見えるかが55%である
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変革の取り組みでよくある間違い
本書は、変革の取り組みでよくある間違いについても多く述べています。そのいくつかをまた箇条書きにしてまとめました。
- ツールやシステムの導入が目的になっている変革が多いが、それらは手段にすぎない。大切なのは、仕事がもっと楽になるとか、早くできるようになるとか、間違いが格段に減るなどの、個人が体感できるツールやシステムのメリットである。変化に個人的なメリットが感じられるのならば、人は変化に引き付けられる
- 新しいツールやシステムの導入において、様々な特徴をアピールすることも多いが、それらは必ずしも目的の達成に結びつくものではなく、無関係であることも多い
- ツールを整備すれば結果はおのずとついてくるだろうと考えがちだが、結果は自動的にはついてこない。※ これは1989年のケビンコスナー主演の野球映画から、フィールドオブドリームス症候群(field of dreams syndrome)と呼ばれます
- 変革の担当者は、変革の取り組みを関係者に売り込もうとするが、変革の取り組みは売り込むのではなく、受け手がメリットを感じるかどうかである
- 経営層や主唱者は良いニュースばかり聞きたがるが、「良いニュース」や「確実な進捗」の報告が目的となると、変革の取り組みは間違った方向に進む。悪いニュースは包み隠さず、できるだけ早く、要点を簡潔にして、次にどのようにかじを切るか、情報を共有する必要がある
- 表の目的と異なる裏の目的が存在し、不誠実さが散見される取り組みは成功しない
- 大げさな言葉やバズワードを掲げない。地に足の着いた言葉を使う
- 当初計画を方向修正することを失敗とみなしてはいけない
- 相手を責めたり、プライドを傷つけると、相手を硬化させてしまう
以前本サイトで変革のステークホルダーの説明をしたときに、ステークホルダーは、大きく、①スポンサー(責任者)、②パートナー(協力者)、③変化の影響を直接受ける人たち、④間接的な影響を受ける人たちやその他の何らかのかかわりを持つ人たちの4つに分類できると説明しました。
ひとつの取り組みであっても、関わる人たちの捉え方や感じ方は大きく異り、三者三様です。それどころか、考え方や感じ方が真逆で、対立していることも珍しくありません。
しかし、それを「抵抗」や「競争」と捉えてはいけません。
「抵抗」や「競争」を解決しようとすると、「私たちのグループとあの人たちのグループ」とか「勝ち負け」の理論になりがちです。成功する変革は「競争」でなく「協業」です。
それぞれの捉え方や感じ方を尊重し、なぜそのように考えたり、感じたりするのか、壁を取り除き、心理的安全性を確保したうえで正直に話してもらうのです。そして、すべての人が納得感をもって進める必要があります。
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本音と建て前
いくら高尚な目的を掲げたり、理論的な説明を繰り返しても、大多数の人たちにとって、自分のメリットが何かが最大の関心事です。自分が面倒を避けることができるか、自分が楽になるかなど、他人のメリットではなく、自分にメリットがあることに引き寄せられます。
つまり、環境を守りたいとか、社会のために貢献したいという思いよりも、自分が他人から尊敬を集めたいとか、自分の評価を高めたいとか、あるいは恥をかきたくない、矢面に立ちたくない、非難されたくない、評判を落としたくない、面倒なことに巻き込まれたくないなどと思う人が圧倒的多数です。
著者のバーブ・グラントは、30年のキャリアの中で数多くのプロジェクトに携わってきましたが、真に崇高な理念を持ち、人に尽くす利他的なリーダーが率いたケースを3件しか知りません。もしあなたがそのようなリーダーの下で働いていたら本当にラッキーです。
しかし、現実は、変革によって、従業員を楽にしてあげたいとか、社会のために献身するなど、他人のメリットを心から最優先するリーダーは皆無に等しく、優れた経営者でさえ自分のメリットを最優先します。
これは仕方ないことなのです。人の気持ちを根こそぎ変えることはできません。むしろ、その正直な気持ちを受け入れるのです。個人的な理由によって動機付けられることは恥ずかしいことではなく、むしろプロジェクトはそれぞれの個人的な動機を満たさなければ成功しないのです。
そして、日本の変革の取り組みの間違いでとても多いのが、本音と建前の乖離です。
例えば、いま日本では、時間外労働時間の制限を厳しくする法令化が進んでおり、企業は対応に負われています。実際は法令順守とか世の中の流れについていくだけの目的の取り組みなのに、「私たちは従業員のウエルビーイングを実現します」など思ってもいない高尚な目的を掲げても機能しません。
「忙しいので皆さんにはもっと働いてもらいたいのですが、法律に違反しないように労働時間の削減に真剣に取り組みます」と正直に言えばいいのです。その方がみな納得できるのです。
また、今労働者側は1分刻みで残業代を会社に請求できることが法律上認められていますが、これも「私たちは従業員の時間を大切にしているため1分単位で残業代を支払います」などと言ってもしらけるだけです。正直に「法律に従い1分単位で残業代を支払います」と伝えればいいのです。
「うわべだけ綺麗に飾ること」「実際以上に大げさに表現すること」を英語で「ブタに口紅を塗る(put lipstick on a pig)」と言います。
多くの変革の取り組みがブタに口紅を塗る取り組みになっています。
高尚な目的を掲げているものの、ほとんどの人が心の底ではそうは思っておらず、正直さが欠けています。「正直さ」とは「本当の正直さ」です。心にもないもっともらしいことを言って目的をフカしたり、体裁を整えようとして、本音と建て前の目的が最初からズレていては成功しません。
繰り返しますが、自分に何のメリットがあるのか心から同意できないと人は変わることができません。逆に個人の正直な思いが反映されれば、取り組みは成功に近づきます。
この個人の本音のことをチェンジマネジメントの分野では「WIIFM(What’s in it for me ?)」と言いますが、「いったい私に何のメリットがあるの?」の本音を明らかにしなけば変革は成功しないのです。
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さいごに
著者のバーブ・グラントは、本の中で、1984年公開の大ヒットファンタジー映画「ネバーエンディング・ストーリー」を引用しています。
年がばれそうですが、私も小さい頃に見て、その世界観や物語に引き込まれたのをよく覚えています。
ストーリーは、希望が無くなり「虚無」が世界を急速に飲み込んでいく中で、崩壊の危機に瀕した世界を救うために、アトレーユという少年がアルタクスという白馬を連れて旅に出るというものです。
苦しく長い旅の途中で、馬のアルタクスは「悲しみの沼」に沈んでいってしまいます。「悲しみの沼」とは、悲しみや絶望にとりつかれた者が抜け出せなくなり、沈んでいく沼です。
友を失い、たった一人になり疲れ果てたアトレーユも、やがて、もがくのをやめ、沼に沈み始めます。そこでファルコンという白いドラゴンが空から現れる。。。というハイライトシーンがあります。
著者のグラントは、チェンジマネージャーをファルコンになぞらえています。
変化の取り組みは、すべての人を未知なる世界に導くプロジェクトです。みんな最初は心配で疑心暗鬼なのです。不安に押しつぶされそうになったり、「悲しみの沼」に沈みそうになったりするのです。
先ほど「人は変化に抵抗する」と書きましたが、実際は、変革と取り組みのプロセスは、変化に適応するための「創造的なもがき(creative struggle)」なのです。
「抵抗」は人を動かなくしますが、「創造的なもがき」は人を前に進めようとします。
そして、苦しみの過程で、もがきながら沈んでいってしまいそうになる人たちを勇気づけたり自信づけるのがチェンジマネージャーの役割であり、目的地を示し希望を与えるのがスポンサーの役割なのです。