私は、教科書やニュースからだけでは分からない、世界の様々な場所を生き抜いてきた人がその実体験を書いた本を読むのが好きです。今回紹介するのもそのような本です。アパルトヘイト時代、異なる人種間の子どもとして「違法」に生まれた、南アフリカ出身のコメディアン、トレバー・ノアの自伝です。
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はじめに
今回は久しぶりに自伝・回想録の書籍紹介です。
私は、教科書やニュースからだけでは分からない、世界の様々な場所を生き抜いてきた人がその実体験を書いた本を読むのが好きですが、今回紹介するのもそのような本です。
「Born a Crime: Stories from a South African Childhood(邦題)トレバー・ノア 生まれたことが犯罪! ?」は、南アフリカ出身のコメディアン、トレバー・ノア(Trevor Noah)が書き、2016年に出版されベストセラーとなった自伝です。
この本は、アパルトヘイト時代に違法だった、異なる人種間の子どもとして生まれた混血のトレバー・ノア(母親は黒人、父親はスイス人)の目から見た、アパルトヘイト中とアパルトヘイト後の南アフリカと、幼少期の彼や家族との出来事を書いた本です。
彼は、これらをユーモアと愛情を交えて、個人的、人間的なものとして描いていて、南アフリカやアパルトヘイトに関心を持たない人にも理解しやすく、面白い本になっています。
実際に、私も楽しんで読み進めることができ、あっという間に読み終えてしまいました。
トレバー・ノア自身は、2011年にアメリカに移ってから飛躍的な成功を遂げ、近年では、グラミー賞で2021年から2025年まで5年連続でホストを務めるなど、活動の幅を広げています。
なお、いつものように私はオリジナルの英語版を読んでおり、日本語版は読んでいませんので、日本語版との言葉や表現の違いについてはご了承ください。
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コメディアン:トレバー・ノア
本を紹介する前に彼のコメディを紹介しましょう。
下のYoutubeは、ユニセフ(UNICEF)のテレビ広告をネタにした彼のショートコメディです。
見ていて、無茶苦茶笑ってしまいました。次のような内容です。
。。。テレビ広告では、やせこけたアフリカの少女がこちらを見つめています。そのバックでナレーションが流れ始めます。「アフリカでは毎年5百万人の子どもが飢餓に苦しんでいます。あなたの月1ドルの支援が状況を変えます」
そして、カメラは少女の顔にクローズアップしていきます。ハエが少女の顔にまとわりついています。。。
トレバー・ノアは、まくし立てます。
「なぜハエが顔にまとわりついているのか?なぜ上唇にハエが這いつくばっていても少女は微動だにしないのか?理解できない!ハエが上唇にくっつくまで撮影し続けたのか?ディズニーのキャストなのか?ハエにそのような演技を指示したのか?スタンバイ、アクション!」
彼はさらに続けます。
「たしかにアフリカでは飢えは問題です。ただし、なぜアフリカにこのようなイメージを植え付けようとするのか?たしかに私たちは貧しく、生活は苦しい。しかし、ハエを顔から追い払うことはできます!」
※ なお、本サイトで幾度もユニセフの素晴らしいレポートを引用している通り、私はその活動を評価しており、決して中傷する意図はありません。ユニセフ・マンスリーサポートにも参加してます、少額ですが(汗)。
次のコメディもユニセフに絡んだものです。しかし、対象はアフリカ人ではなくアメリカ人です。今紹介したユニセフのテレビ広告のスタイルを今度はアメリカ人に当てはめます。
トレバー・ノアは語ります。
「不景気によってハワイ旅行に行けなくなったり、最新型のiphoneを買えなくなった哀れなアメリカ人家族に、税込み日額480ドルの支援を行うことで、彼らは贅沢な生活を取り戻すことができるのです」と、これまた痛烈に皮肉った面白い動画です。
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トレバーの母親
さて、本の紹介に進みますが、正直、この本を読み終えて一番最初に心に残った疑問は、トレバー・ノア自身ではなく、その母親パトリシア・ノアに関するものです。
彼の母親は、アパルトヘイトの終焉が見えない時から、息子に世界は限られてはおらず、無限であることを教えてきました。境界の外に異なる世界があることを教え、限られた範囲ではあっても、黒人では決して行かないようなところへも連れていき、様々な経験をさせてきました。また彼女は敬虔なキリスト教信者です。毎週息子を複数の異なる教会に連れていきました。
しかし、最終的に彼女は、ダメ男と結婚し、しばしば暴力を受け、経済的にも苦しい生活を送ることになります。
私の疑問は「なぜこんなにも意志が強く、勇敢かつ怖いもの知らずで、未来志向の母親なのに、最終的には、暴力的で浪費癖のあるダメ男を夫として自らの意思で選択肢し、自らの人生を狂わせていくのか?なぜ、どんなにひどい目に遭っても、神のご加護によって助かったという見方をして自分の行動を変えようとしないのか?」というものです。
しかし、この問題には、ひょっとしたら、南アフリカや宗教の問題だけでなく、私では理解できない男女間の普遍的な問題も含まれているのかもしれません。よって、この点については、ここではこれ以上深入りしないでおきます(笑)。
過去から学び、過去を糧に成長しなさい。でも、過去のことで泣いてはいけません。人生は苦しみに満ちています。苦しみで自らに磨きをかけるのです。苦しみに執着してはいけません。自分を辛くしてはいけません。」
~ パトリシア・ノンブイセロ・ノア(トレバー・ノアの母親)Learn from your past and be better because of your past, but don’t cry about your past. Life is full of pain. Let the pain sharpen you, but don’t hold on to it. Don’t be bitter.
~ Patricia Nombuyiselo Noah
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トレバー・ノアとアパルトヘイト
トレバー・ノアは、アパルトヘイトを単に人種隔離制度として説明するのではなく、それが彼の日常生活にどのように直接影響したか、個人的な体験を通してその不条理さについてユーモラスを交えて語っています。
アパルトヘイトの下では彼の存在自体が違法だったため、子供の頃に両親は人前では親ではないふりをしなければならず、当局から身を隠さなければなりませんでした。
アパルトヘイトが長い期間とてもうまく機能したのは、大多数を占める人たちを互いに敵対するように仕向けたからです。アパルトヘイトは、人々をグループに分け、互いに憎み合うようにして、そのすべてを支配できるようにしました。
当時、南アフリカの黒人は白人のほぼ5倍いましたが、黒人たちは異なる言語を持つさまざまな部族に分かれていました。ズールー、コサ、ツワナ、ソト、ベンダ、ンデベレ、ツォンガ、ペディなどです(なお、これらは北から移住していた部族で、先住民のコイサンとも異なります。コイサンは、肌の色も彼らのように黒色ではなく、比較的薄い黄褐色でした)。
アパルトヘイトのずっと前から、これらの部族は互いに衝突していました。その分裂の中で最も顕著だったのは、南アフリカの2大勢力であった、ズールーとコサの間の衝突でした。
ズールー族は戦闘的で、コサ族は理性的でした。トレバー・ノアの母親はコサ族で、ネルソン・マンデラもコサ族でした。白人は、グループ間の敵意を利用して分割統治を行い、全体を支配しました。
なお、アパルトヘイト終息後も国が収まらず、しばらく紛争が絶えなかったのは、この2つのグループの覇権争いが続いたからです。南アフリカでは、ベルリンの壁の崩壊のように1日にして変化がもたらされたのではなく、アパルトヘイトの壁は長い年月をかけて、少しずつ欠け落ちていったのです。
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見た目とアイデンティティ
アパルトヘイトは、「人間は肌の色によって分類される」ということを教えるものです。
アパルトヘイト下では、すべての非白人は、さまざまなグループとサブグループに体系的に分類されました。そして、これらのグループには、対立を維持するために、異なるレベルの権利と特権が与えられました。
黒人であるトレバー・ノアの母親は、ソウェト(Saweto)と呼ばれる黒人居住区の彼女の母親(ノアのおばあさん)の家に住み、そこで息子を育てました。しかし、彼自身は黒人ではなかったため、目立たないように多くの時間を家の中で過ごさせました。
アパルトヘイトの究極的な目的は国を白人化することでしたが、実際には白人社会は黒人たちの労働や世話なしでは機能しなかったため、多くの黒人たちを遠くに隔離しても、一定数の黒人居住地を近くに維持しなければなりません。ソウェト(Saweto)もそのような黒人居住区の1つでした。
また、南アフリカを植民地化したオランダやイギリスはさまざまなものを南アフリカに持ち込みました。
インド人もその1つです。
多種多様な人たちが混じり合った結果、黒人とも、白人とも、インド人とも異なる、混血の人たち、いわゆる「カラード(有色人種)」と呼ばれる人たちが、独自のグループとして政府から分類されるようになりました。そして、その分類に基づいて、何百万もの人々が根こそぎ移住させられました。インド人地域はカラード地域から隔離され、カラード地域は黒人地域から隔離され、それらはすべて白人地域から隔離され、空き地の緩衝地帯によって互いに分離されました。
カラード(有色人種)は完全なハイブリッドで、肌の色が明るい人もいれば、暗めな人もいます。アジア人のような特徴を持つ人もいれば、白人のような特徴を持つ人もいれば、黒人のような特徴を持つ人もいます。
有色人種の男性と有色人種の女性の間に、どちらの親にも似ていない子供が生まれることも珍しくありません。偶然、白人に似た肌の白い子どもが生まれることもあります。
そして、驚くことに、その肌の白い子供は白人に昇格することもありました。逆に白人同士の両親から生まれた子どもであっても、肌の色が黒っぽければ有色人種に降格することも、また黒人が有色人種に昇格することもあったです。
有色人種が抱える呪いは、明確に定義できる家系がないことでした。この点で、南アフリカの有色人種の歴史は、南アフリカの黒人の歴史よりもたちが悪いかもしれません。黒人は多くの苦しみを味わってきましたが、彼らは少なくても自分たちが誰であるかを知っています。有色人種は自分が何者かすら知らなかったのです。
母親は黒人、父親は白人でしたが、トレバー・ノア自身は「カラード(有色人種)」でした。
母親とノアはアパルトヘイト終息後、自立した生活をするために黒人居住区ソウェト(Saweto)にあるおばあさんの家を出る決心をし、「カラード」の人たちが多く住む地域エデン・パーク(Eden Park)に引っ越します。
母親がエデン・パークを選んだのは、そこでは、同じ「カラード」であるノアが目立たず、周囲により溶け込むことができると思ったからです。しかし、彼らが想定したように事は進みませんでした。
外面は周囲の人たちと同じような有色人種でも、ノアは母親からの教育のおかげで、内面はより白人に近く、その点で周囲の人たちとはまったく異なっていました。彼は、人間は外面の違いより内面の違いの影響の方がはるかに大きいと知ります。その点で、エデン・パークでの日々は、人生でも最も厳しい経験の1つだったと彼は振り返っています。
もし、白人であっても、ヒップホップなどの黒人カルチャーを受け入れていれば、黒人社会に受け入れられます。もし、あなたがその社会に同化しようと努力している部外者だと思われれば、その社会から受け入れられるでしょう。
しかし、白人のアイデンティティを完全に保持しながら黒人社会に住んでいれば、黒人たちから憎悪と排斥を受けてしまいます。黒人のアイデンティティを完全に保持しながら、白人社会に住んでいても同様です。
そこに住んでいる人たちと完全に内面が異なっていながら、そこに住まなければならなかったこと、それが、エデン・パークでノアに起こったことでした。
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言語とアイデンティティ
言語は、それを話す人たちに、共通のアイデンティティと文化を植え付けます。
共通の言語を話す人たちには「君たちは私たちと同じだ」と言います。
違う言語を話す人たちに対しては「君たちは私たちとは違う」と言います。
また違う言語はお互いを理解しあうことも妨げます。
アパルトヘイトの立案者たちはこれを理解していました。黒人を物理的に分離するだけでなく言語によっても分断しました。
アパルトヘイト下で、政府はバンツー学校として知られる学校を建設しました。黒人の学校では、子供たちは母国語でのみ教育を受けました。ズールー族の子供たちはズールー語で学び、ツワナ族の子供たちはツワナ語で学びました。これによって、黒人たちは政府が仕掛けた罠にはまり、互いに対立し争い続けることになります。
なお、バンツー学校では科学も歴史も公民も教えませんでした。教えたのは、ジャガイモの数え方、道路の舗装方法、薪割り、土の耕作方法などです。
知識は力を与えます。アパルトヘイトが機能した別の要因は、黒人の知識や知性を麻痺させたことでした。
黒人の成長したティーンエイジャーたちは、荒廃した学校の混雑した教室に押し込まれ、ほとんど読み書きのできない教師たちのもとで、まるで幼稚園児のように「2かける2は4。3かける2は6。ラララララ」という歌のレッスンを何世代にもわたって教えられてきたのです。
一方で、言語の素晴らしいところは、それを逆手にとって、人々に自分たちは同じだと納得させることができる点です。
トレバー・ノアと母親は、その他の部族の人たちと異なり、多くの言語を学び、話すことができました。そのことで、複数の部族の人たちと巧みにコミュニケーションを取り、危険を回避したり、仲良くなることもできました。どのクループとも異なる一方で、まるでカメレオンのようにどのグループとも交流することができたのです。
しかし、人種差別は愚かもので、私たちは簡単に騙されてしまいます。
あなたが人種差別主義者で、自分と似ていない人に出会った場合、あるいはその人の外見が自分と同じなのに自分と同じようにうまく話せない場合、人種差別的な先入観を強めます。その人は自分とは異なり、知性が低いと考えます。
例え、どんなに優秀な科学者がメキシコから国境を越えてアメリカにやって来ても、その人が片言の英語でしか説明できなかったら、アメリカ人は「この人は信用できない」と考えます。
しかし、自分と似ていない人が自分と同じように話すと、あなたの脳はショートします。なぜなら、あなたの人種差別プログラムのコードには、そのような指示がまったくないからです。
「待って、待って」とあなたの心は言います。
「人種差別のコードは、私と外見が似ていなければ、私とは違う分類だと言っているのに、言語のコードでは、私と同じように話せば私と同じだと言っている。何かおかしい。理解できない!」
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日本人と中国人
トレバー・ノアは書籍の中で、アパルトヘイトがいかに非論理的、ナンセンスであるかという説明において、日本人と中国人を引き合いに出しています。面白かったので紹介しましょう。
アパルトヘイト下の南アフリカでは中国人は黒人として分類されていました。中国人が黒人のように振る舞っていたという意味ではありません。中国人は中国人です。しかし、インド人と違って、当時、中国人の数は、まったく別の新しい人種のカテゴリーを作り出す必要性があるほど多くはありませんでした。南アフリカ政府は、中国人をどう扱えばよいか分からず、「まあ、黒人と同じ分類にしておこう」としたのです。
興味深いことに、日本人は白人として分類されました。その理由は、南アフリカ政府が、高級車や電子機器を輸入するために、日本人と良好な関係を築きたかったからです。そのため、日本人は名誉白人の地位を与えられ、中国人は黒人のままでした。
南アフリカの人たちにとって、外見から中国人と日本人の区別をつけるのは難しいものです。南アフリカの警察官が、白人専用のベンチにアジア人が座っているのを見たら、何と言うでしょうか?
「おい、中国人め、そのベンチから降りろ!」
「すみません、私は日本人です。」
「ああ、申し訳ありません。人種差別するつもりはありませんでした。素敵な午後をお過ごしください。」
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さいごに
最初に紹介したように、本書の中でトレバー・ノアはさまざまな出来事をユーモアを交えて紹介しています。そのユーモアあふれるストーリーについては、ここで私が紹介してつまらなくしてしまうよりも(笑)、直接読んで楽しんでもらった方がよいかと思います。ご関心がありましたら、ぜひお手に取ってみてください。
さいごに、下のYoutubeは、2023年にトレバー・ノアが幼少期を過ごしたソウェト(Saweto)に戻った時の映像です。書籍にも出てくるココ(Coco)おばあさんもご健在なんですね!
「毎朝トレバーの写真に「おはよう」と挨拶しているが、返事が返ってこない」と言うココおばあさんがチャーミングです(笑)。
一方で、アパルトヘイトが遠い昔の話ではなく、ごく最近まであったという事実も改めて思い出させます。