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であること。すること。もっていること。 Being, Doing, Having

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2024年9月8日
  • Reading time:7 mins read

私たちは、欲しいものを手に入れて、やりたいことを実現すれば、自分が望む状態にたどり着けると考えます。しかし、例え、望むものを手に入れて、望むことを全て実現しても、まだ満足できません。順番が逆なのです。最初にあるべきは自分が本当にありたい自分で、そのために必要なことをし、その結果、望む物を得るのです。

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Being, Doing, and Having :であること、すること、もっていること

シャクティ・ガウェイン(Shakti Gawain, 1948 – 2018)は、アメリカのニューエイジ、自己啓発の草分け的存在です。すでに亡くなって久しいですが、彼女の著書は全世界でいままで1,000万部以上売れています。その代表作が、1978年に彼女が最初に書いた書籍でもある「Creative Visualization : Use the Power of Your Imagination to Create What You Want in Life(邦題)理想の自分になれる法」です。

この本はすべての節が数ページ程度と短く、読みやすいのでぜひ手に取って頂きたいと思いますが、その本の中に「Being, Doing, and Having」という節があります。わずか2ページなので、全部訳してみましょう。

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人生は3つの要素からなっています。それは「Being」「Doing」「Having」です。

Being:であること」とは、生きているという基本的な感覚と経験です。今現在の瞬間にフォーカスし、それ自体で完結していて、自分自身の中に安らぎを感じている状態です。

Doing:すること」とは、動きと活動です。創造力から生まれ、私たちの活力の源になります。

Having:もっていること」とは、他の人や物と関係がある状態です。それらを自分の生活の中に受け入れ、同じ空間を心地よく共有する能力です。

これらの3つの要素は三角形のような関係になっていて、お互いを支え合っています。干渉しあうことなく、同時に存在しています。

たくさんの人がこの3つを間違った順序でつなげて人生を生きようとします。より多くの物やお金を手に入れて(Having)、それを使ってやりたいことをできるだけ多くおこない(Doing)、その結果幸せになろうとします(Being)。

しかし、うまくいくのはその逆の順序です。まず最初にあるべきは自分が本当にありたい自分(Being)です。そして、そのために必要なことをし(Doing)、最終的に望む人や物との関係を手に入れ、快適に空間を共有するのです(Having)。

。。。自分自身とつながり(Being)、すべきこと(Doing)を見定めて促進し、持つべきもの(Having)を深め、広げ、整合させていくのです。

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以上が、ガウェインの「Being, Doing, and Having」です。

「Being:であること」と「Doing:すること」、そしてこの2つの関係性については、このサイトでも繰り返し紹介しており、理解しやすいのではないかと思います。

前回の記事でも、多くの人たちが「すること」の中毒になっていると書いたばかりです。私たちは常に何か「すること」に夢中になりすぎていて、「であること」の大切さを見失いがちです。別の記事では、今にいること(Being)の重要性も書きました。本来、「すること」は「であること」の手段なのです。

しかし、ガウェインの「Having:もっていること」の定義は、みなさんが一般的に思い浮かべる言葉の意味とは大きく異なっているのではないでしょうか?私も少し驚きました。
私たちは通常、「Having:もっていること」を「何かを所有すること」と解釈しますが、ガウェインの意味する「Having:もっていること」はそれをはるかに超えています。彼女の「Having:もっていること」は、「所有」というよりは、人や物との「関係性」なのです。そして、「Being:であること」が一番最初に来ることで、その結果として、他人や物との新しい関係が生まれるのです。

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3つの関係性

たとえば、私たちは欲しいものを手に入れ、それを利用することで、欲求を満たそうとします。
理想のパートナーをゲットし、いっしょに何かしたり出かけたりして、幸せになろうとします。
できる限りのお金を稼ぎ、やりたいことを多く実現し、充実した人生を送ろうとします。

特に消費型資本主義が根底にあり、モノや情報があふれた現代社会は、このような志向をもつことが当然であるかのように私たちを誘導し、実際に私たちはそのように完全に誘導されています。

ガウェインが書いているように、私たちの多くは次のようにこの3つの関係性を捉えています。

Having ➡ Doing ➡ Being
「もっていること」➡「すること」➡「であること」

しかし、この順序では、ほんとうに自分が望む状態に到達することはできません。

多くの人が、何かを持っていないと満足できず、何かをしていないと満足できません。そして、皮肉なことに、例え、望むものを手に入れて、望むことを全て実現しても、まだ満足できないのです。

最初にあるべきなのは「どんな自分であるか」です
それは人生における、価値観であり、意味であり、目的と置き換えることもできます。自分を受け入れている状態でもあります。「どんな自分か」がしっかりしていて、それを受け止められていれば、おこなうべき行動は自然と明らかになり、持つべき物や関係も容易に整理できます。

私たちは自分の「ある」べき姿を実現するために、何かを「おこない」、そのために必要なものを「持つ」のです。あるいは、「ある」べき姿を体現し、行動した結果、他の人たちや物との快適な関係性が構築されるのです。つまり、3つの関係性は本来次のようになります。

Being ➡ Doing ➡ Having
「であること」➡「すること」➡「もっていること」

そして最終的にこの3つは、それぞれがそれぞれを支え合う対等な状態に達します。

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「Being ➡ Doing ➡ Having」のパラドックス

自分自身がありたい状態を明確にし、内面的に整合していればいるほど、何をすべきかが明確になり、そのために何を持つべきが明確になります。

しかし、私が思うに、「Being ➡ Doing ➡ Having」の状態に達する人たちの多くは、実は過去にずっと「Having ➡ Doing ➡ Being」という逆の順序で人生の価値を追求してきたのです。間違った順序で望むものを手に入れようと長く一生懸命頑張ってきて、ある時点でそうではないと気付くのです。そして、それに気が付いた後に、手に入れた多くの中から、いらない物や不必要な行動や関係性を手放していくのです。

価値観や信念を強く持つ家庭や両親の下に生まれたり、そのような環境で育たれない限り、「Having ➡ Doing ➡ Being」の人生を経験することなく「Being ➡ Doing ➡ Having」の関係性に始めからたどり着いている人はそうそういないのではないでしょうか。

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「すること」と「であること」のジレンマ

私自身もそうです。

本サイトのプロフィールにも書いているように、私は冒険好きで、海外にいるときは、かなり辺鄙な場所まで出かけて行って山に登ったり、走ったり、途上国の場合は、ホテルがないような山村で日本でいう民宿のようなところにホームステイすることもあります。

以前、中米のある貧しい国に仕事で出かけたときに、週末の休みを利用して登れる山が近くにないか調べていて、現地で知り合った人に「週末はどこかに行ったりするの?」と何気なく尋ねたことがあります。

すると「特にどこにも行くこともなく、たいてい家族の家に集まって、みんなで一緒に話をしたりご飯を食べて過ごしているよ」と言う言葉が返ってきました。

私はそれを聞いて「はっ」としました。

私たちの多くは「週末何しようかな?」とか「週末どこ行く?」など、頭の回路がつねに「何かする」モードになっています。しかし、私が尋ねたこの人は「何かしなければ」とも「どこかに遊びに行かなれければ」とも考えていなかったのです。

このような途上国には、私たち日本人の生活とはまったく異なる生活と現実があります。政治面、経済面、物質面、環境面など様々な面で、その土地での生活はとても厳しいのですが、私には時々彼らの生活の方が豊かに見えるときがあります。

本サイトで何度も書いてきたように、今、私は「何かをする」ことよりも「どのような状態にあるか」を大切にしています。そして、その中心に常にあるのは、自分の大きな目的であり価値観です。

もちろん、そのために「何かをする」や「どこかに行く」ことも考えますし、実際に色んな所にも相変わらず出かけて行き、様々な人たちに会い、色んなことをして楽しんでいます。何かすることなく生きていくことはできません。しかし、以前とは「すること」の捉え方が違います。今、私の行動は、自分が望むより大きな「目的」や「価値観」を満たし、その状態を支えるものになっています。

しかし、これには先ほども書いたジレンマがあります。

私は、さまざまな経験をした結果、そこにたどり着いているのです。
つまり「Having ➡ Doing ➡ Being」の人生を歩んできたのです。
たくさんの「する」や「行く」を繰り返し、様々な人たちに触れ合ったり、物事を経験し知ることで、ある時、「する」や「行く」よりももっと大きな「である」の大切さに気が付いたのです。
「する」を繰り返していなければ、おそらくそこにはたどり着いていないのです。

「する」に支配された人生を批判的に書いてきて、完全に矛盾しているのですが、それでもなお、私は若い人たちには様々な「する」や「行く」を経験してもらいたいと思っています。それを経験することでより大切なものがあることに気付いてもらいたいと思っているのです。なぜなら、経験しなければ、それが分からないと思っているからです。

様々なことをするから、その意味や無意味さを知り、様々なものを手に入れるから、その価値や価値のなさを知るのです

以前本サイトでアメリカの精神科医スコット・ペック(Scott Peck, 1936–2005)が書いた書籍「The Road Less Traveled(邦題)愛すること、生きること」を取り上げた際に、人生の規律の本質は「放棄すること、手放すこと、捨てること」にあると紹介しました。そしてその記事の最後にこう書きました。

人はまだ手にしていないものを手放すことはできません。一度も勝ったことがないまま、勝つことをあきらめたら、最初からいた場所に居続けるだけです。自分自身のアイデンティティを築かなければなりません。私たちはエゴを取り除かなければなりません。しかし、エゴを育てなければ、エゴを失うことはできないのです。

スコット・ペックは、人はまだ手にしていないものを手放すことはできないと言います。エゴは私たちの人生の最大の敵ですが、皮肉にも、エゴを持たなければ、エゴを知り、エゴを手放すことができないのです。ここに大きなジレンマがあるのです。

「すること」や「行くこと」も同じです。たくさんの「すること」や「行くこと」を経験するから、「Having ➡ Doing ➡ Being」では決して届かない「であること」の意味を知るのです。そして、「であること」から始まる「Being ➡ Doing ➡ Having」の重要さを知るのです。

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