人は、根拠が正しいから導かれた結論を信じるのではなく、結論を信じているからその根拠を信じます。因果関係は逆転しているのです。理論で他人の信念を変えることはできません。しかし、対立するもの同士が協力することで、その視野を広げる手伝いをすることはできます。考えが変わらなくても、視野が広がるだけで私たちは進歩できます。
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はじめに
前回の記事で、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman, 1934 – 2024)に少し触れました。その時に知ったのですが、カーネマンは今年の3月27日(2024年)に亡くなっていたのですね。90歳でした。
カーネマンは、私たちの直感がいかに合理的でないかを証明し、行動経済学の発展にもっとも寄与した人物と言っても過言ではありません。
そんなカーネマンですが、数年前にたまたまYoutubeで見つけて見た、割と最近のインタビュー動画で、カーネマンが「人は変わらない。私はもうあきらめている」というようなことを言っていてびっくりしたのを覚えています。もう一度確認したいと、改めてそのYoutubeを探してみましたが見つからないのが残念です。
今回は、カーネマンとゲイリー・クラインが書いた2009年の共同論文「Conditions for Intuitive Expertise : A Failure to Disagree(邦訳)専門家の直感が成り立つ条件:意見が合わないことを受け入れられない」(1)を紹介しましょう。
ゲイリー・クライン(Gary Klein)は、自然主義的意思決定(NDM : Naturalistic decision-making)の先駆者として有名な心理学者です。
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怒りの科学:攻撃しあう研究者たち
この論文は、共同研究に至るまでの経緯が素晴らしいので、まずその経緯を紹介しましょう。(2)
カーネマンは、理由づけは幻想だと言います。人は、根拠が正しいから導かれた結論を信じるのではなく、結論を信じているからその根拠を信じるのです。つまり、因果関係は逆転しているのです。
根拠が打ち負かされても信念は変わりません。
政治や宗教で例えれば、なぜその政党や宗教を支持しているのかと尋ねられれば、人はその理由を挙げて説明します。しかしその理由は幻想です。例え理由が論理的に完全に打ち負かされても彼らは信念を変えないのです。
科学者や研究者も同様です。
研究者がある結論にたどり着くと、彼らはその結論を支持する根拠を追い求めます。その根拠が打破されようが結論を信じる心は変わりません。反論されると、反論者の論理の弱点に焦点をあてて責め返します。これをカーネマンは「怒りの科学:angry science」と呼びます。
しかし、ある部分が間違っているから全てが間違っているという論理は、「過度な一般化:Overgeneralisation」と呼ばれる典型的な認知のゆがみの一例です。研究者でさえ、認知の罠に簡単に引っかかるのです。
人が根拠を信じるのは、結論を信じているからである。
~ ダニエル・カーネマンPeople believe the reasons because they believe in the conclusion.
~ Daniel Kahneman
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敵対的協力:対立する研究者同士が協力し合う
カーネマンは「怒りの科学」を打破するために「敵対的協力:adversarial collaboration」という概念を提唱しました。これは、真逆の主張をし対立し合う科学者同士がひとつのチームとなり、実験や研究によってお互いが合意できる共通の真実の発見に向かって協力し合うという考え方です。
カーネマンが提唱する理論に対して批判的な意見を表明する研究者は少なくありませんでした。しかし、カーネマンはその批判に対して、論文や投稿などの文章の形で批判し返すことが好きではありませんでした。むしろ、お互いが合意できる真実を発見しようと、その反論者に対して共同研究を提案してきたのです。
敵対的協力がうまくいったように見えても、実は、表面上は合意するものの、心の奥底では考えを変えることなく終わることがあります。敵対的協力が真に成立するためには、お互いが、最初の研究では合意できる結論に至らないかもしれないことを事前に受け入れておく必要があります。そして、その場合、双方が気兼ねなく追加の実験を提案できるようにしておくのです。
カーネマンは、意見の反する研究者たちとの敵対的協力を繰り返してきました。
カーネマンが最も満足した敵対的協力が、今回紹介するゲイリー・クラインとのコラボレーションでした。
ゲイリー・クラインは「専門家の直感の正しさ」を主張する心理学者で、カーネマンは「直感の過ち」を指摘する心理学者です。敵対的協力をおこなうまで、クラインはカーネマンが関わってきた研究を一貫して否定してきました。
しかし実は、2人ともある点では双方が正しいことを認めていました。直感は時には素晴らしく、時には間違っているという点です。カーネマンがクラインに提案した共同研究の目的は、ではいったい、専門家の直感が正しい時と正しくない時の差は何なのか、その境界線はどこにあるのかを突き止めることでした。
しかし、これは簡単なことではありませんでした。論文を書くのに6~7年もかかりました。
なぜなら2人の支持者たちが共同研究をおこなうことに反対したからです。奇妙なことに、支持者たちは2人が協力することを望まず、2人はそれぞれの壁を乗り越えなければならなかったのです。
しかし、6~7年にわたる懸命な努力は、2つの良い結果をもたらしました。まず、2人はとても親しい友人になりました。そして、境界線についても意見が一致しました。そして、専門家の直感を信頼するための条件を定めました。
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自然主義的意思決定モデル(NDM:naturalistic decision making)
以上が2人が共同研究に至るまでの経緯です。
次に論文そのものを紹介する前に、カーネマンについては本サイトでも何度か取り上げましたが、ゲイリー・クラインを紹介したことがなかったので、クラインが主張する自然主義的意思決定(NDM:naturalistic decision making)について少し説明しましょう。
自然主義的意思決定モデルは、専門家の直感が正しい判断を導くと主張します。そして、どのようにして正しい結論にたどり着くのか、判断を下すために使用する手がかりを特定し、そのプロセスを解明することが研究の主目的です。
その起源は、優れたチェスプレイヤーに関する研究にさかのぼります。初期の研究者は、チェスの名手が秀でているのは、数多くの選択肢の中から最適な手を素早く判断する、ある種の知覚能力が並外れているためだと説明しました。そして、直感(intuition)を「記憶に保存された数多くのパターンの知覚」だと定義しました。
その後、クラインらは、消防士の指揮官が火災現場で適切な決定を下すプロセスを調査しました。その結果、指揮官が生み出す選択肢は通常1つだけだと分かりました。指揮官は、長年にわたる経験で得た暗黙知を利用してベストな選択肢を1つ特定し、頭の中でシミュレートしてそれが大丈夫そうなら即実行に移します。問題がありそうなら、修正したり、次によさそうな選択肢に目を向け、許容できる行動が見つかるまで手順を繰り返します。
この意思決定の方法は、認知プライム意思決定(RPD : recognition-primed decision)と呼ばれます。
これらの専門家の意思決定のプロセスの研究は、システム設計、軍隊の指揮統制、海底油田開発などの様々な分野に拡張され、その正当性が裏付けられていきます。一方で、他の研究では、専門家の直感が必ずしも成功をもたらすわけではなく、失敗に結び付くことがあることも示されました。
例えば、1988 年、アメリカ海軍のイージス艦が、イランのエアバス機を誤って撃墜するという悲劇が起きました。
この事件はNDM研究者による詳細な調査の対象となり、その結果、アメリカ海軍は意思決定に関する研究プログラム「ストレス下での戦術的意思決定 TADMUS : Tactical Decision Making Under Stress」を開始することを決定します。
意思決定の研究者30人が数日に渡って会合を開き、消防士、原子力発電所の管制官、陸海軍士官、道路技術者、その他の様々な専門職の人たちが、不確実性、時間的プレッシャー、人命にかかわるような重大性、変化する状況、その他の制約や障害がある中で、意思決定に至るプロセスの共通点を見つけようとしました。その結果は「NDM の観点:NDM perspective」としてまとめられ、次に挙げるような意思決定モデルが特定されました。
・認知プライム意思決定モデル(RPD:recognition-primed decision model)
さきほども紹介しましたが、認知プライム意思決定 (RPD) は、複雑な状況に直面したときに人はどうやって迅速かつ効果的な意思決定を行うかを示すモデルです。このモデルでは、先の消防士の指揮官の現場判断のように、意思決定者は可能な行動方針を特定し、それを状況に照らし合わせて、問題なければ実行に移します。
・認知連続体理論 (CCT:Cognitive Continuum Theory)
認知連続体理論 (CCT)は、人間の推論、問題解決、意思決定は、認知の連続体(スペクトラム)上のどこかに配置できるという前提に立ちます。つまり、非分析的な直感、分析的な思考、それぞれがスペクトラムの両極端に位置し、その間にはそれらが複合する「準合理性:quasirationality」と呼ばれる大きな中間エリアがあるというものです。これらは分離したものではなく連続あるいは統合しています。
タスクを実行する人が認識するタスクの性質と要件によって、直観的、準合理的、分析的思考のスペクトラムのどこを利用するのか、タスクに直観的にアプローチするか、分析的にアプローチするかが大きく決まります。
タスクのパフォーマンスを最適化するには、そのアプローチがタスクの特性と要件に一致している必要があります。
・その他
その他、意思決定者は情報をいくつかのイメージとして表現するというイメージ理論(image theory)や、意思決定者は梯子を上るようにいくつかのステップを踏んで、その都度複数の選択肢の中からひとつを選び、最終的な決断に至るという意思決定ラダーモデル(decision ladder)などがあります。
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専門家の直感が正しい条件 Conditions for Intuitive Expertise
以上がクラインが主張する自然主義的意思決定の概要でした。
では、次にカーネマンとクラインの共同論文そのものを紹介しましょう。すでに長くなってしまったので(汗)、結論をまとめます。
この論文は、さきほど述べたように、クラインが主張する自然主義的意思決定 (NDM)と、カーネマンが主張するヒューリスティックや認知バイアスとの違いを探る取り組みについて報告しています。
数年にわたる取り組みの中で、カーネマンとクラインは 1 つの基本的な疑問に答えようとしました。それは「どのような状況では専門家の直感は信頼できるのか」ということです。ふたりは、当初達成できると予想していた以上の成果を得ることができたと述べています。以下、研究から得られた結果です。
(1) 熟練した裁判官は、概して自分を導く手がかりに気付いていないことが多い。しかし、直感が熟練していない人ほど、自分の判断がどこから来ているのか分からない傾向が高い。
(2) 真の専門家は、自分が知らないことを知っている(無知の知と言われますね)。しかし、そうでない人たちは、自分が専門家だと思っているかどうかにかかわらず、自分が知らないということを知らない。主観的で根拠のない自信は、直感的な判断が妥当であるかを示す信頼できる指標にはならない。
(3) 直感的な判断が信頼できるかどうかを判断するには、判断が行われた環境と、裁判官がその環境の規則性を学ぶ機会が過去にあったかを調べる必要がある。
(4) 客観的に識別可能な手がかりとその後のイベント、または手がかりと実行可能なアクションの結果との間に安定した関係がある場合、タスク環境を「高い妥当性がある」と言う。医療や消防は、かなり高い妥当性がある環境で実施される。そのため高い角度で直感が正しい判断をもたらす。対照的に、個々の株式銘柄の将来価値の予測や政治の長期予測は妥当性がゼロで、結果を予測するのは事実上不可能である。
(5) 妥当性と不確実性は両立しないものではない。環境によっては、妥当性がとても高く、かつ不確実性もかなり高いものがある。ポーカーや戦争がその例であり、最善の手を打つことで、成功の可能性が確実に高まる。
(6) 妥当性が高い環境は、熟練した直感を養うための必要条件である。環境を学習するための十分な機会 (長期にわたる練習と迅速かつ明確なフィードバック) も必要条件である。有効なヒントと適切なフィードバックを提供する環境であれば、人は最終的にスキルと熟練した直感を養うことができる。
(7) 不規則な環境や予測不可能な環境では真のスキルは養われないが、人は時折、偶然に正しい判断や決定を下すことがある。これらの「運がよかった人」は、自分のスキルを錯覚し、自信過剰に陥りやすい 。金融面での成功例がそうである。
(8) 自信過剰のもう 1 つの原因は「スキルの分類」である。特定のタスクの専門知識を持つ専門家は、実際にはスキルがない他の分野で判断を下すよう求められることがある。たとえば、金融アナリストはある企業の事業の成功可能性を評価するスキルはあるかもしれないが、その企業の株価が割安かどうかの判断するスキルは持っていない。 専門家を利用する人にとっても、そして専門家自身さえも、その専門知識の領域を的確に判断することは困難である。
(9) 妥当性の低い状況でも利用できる弱い規則性があり、偶然よりも成功の確率の高いアルゴリズムの開発に役立つ場合がある。これらのアルゴリズムは限られた精度しか達成できないが、プロセスに一貫性があるため、人間よりも優れている。ただし、人間の判断に代わるアルゴリズムの導入は、かなりの抵抗を引き起こす可能性があり、望ましくない副作用が生じることもある。
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さいごに
以上、カーネマンとクラインの共同研究の結果である専門家の直感が正しい条件を紹介しました。
しかし、おそらくこの共同研究の最も興味深い結果は、それぞれのアプローチの歩み寄りには限界があったということです。結局、クライン側は専門家の直感が有益だという立場を保ち続け、カーネマン側は直感は間違えることがあるという立場を維持し続けました。
研究自体は共同でおこなっていても、それぞれの関心や好みのポイントが違っていたのです。クラインは、専門家の直感を無視した官僚主義的で浅はかな判断が過ちにつながることに興味をひかれ、カーネマンは、専門家が正しい判断を下すことよりも、うぬぼれの強い自己満足の専門家が間違いを犯すことに興味をひかれたのです。
ハンガリーの数理哲学者ラカトシュ・イムレ(Imre Lakatos, 1922 -1974)は、予期せぬ発見によって導かれる 2 つの異なる道があると言います。1 つは漸進的な進歩、もう 1 つは防御的な退化です。
相反する意見を持つ者たちがただ対立するだけでは双方が防御的な退化に陥っていきます。しかし、敵対的協力によって、例え心の奥底では考えを変えることがなくても、科学を前進させることができます。理論がたどる道は、いずれは誰にとっても明らかになります。
カーネマンは、共同研究者のひとりである心理学者バーブ・メラーズ(Barbara Mellers)の言葉を引用します。
「考えを変えるのではなく、少しだけ視野を広げてください。」
カーネマンは、他人の考えを変えることはできないと言います。しかし、他人の視野を広げる手伝いをすることはできるのです。
最後に、カーネマンが亡くなってから約3週間後の4月18日に、ゲイリー・クラインがカーネマンとの共同研究の思い出と友情、彼への敬意をつづった文章を投稿しています(こちらのリンクです)。英語ですが関心がありましたらご覧ください。
人は考えを変えない。
~ ダニエル・カーネマンPeople don’t change their minds.
~ Daniel Kahneman
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参考文献
(1) Daniel Kahneman, Gary Klein, “Conditions for Intuitive Expertise – A Failure to Disagree”, American Psychological Association, American Psychologist Vol. 64, No. 6, 515–526, 2009/9.
(2) “Adversarial Collaboration: An EDGE Lecture by Daniel Kahneman”, Edge, 2022/2.