私たちは安易に目標を立てすぎです。本来立てる必要のない目標や、達成する可能性がない目標を立てることを繰り返しています。目標を立てる前に、自分自身と向き合いましょう。自分にとって大切な価値観や信念を見出し、目標はそれを体現するための道具にしましょう。
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年の瀬にあたって
これを書いているのは、2023年の年末です。はやいもので、もうすぐ年が明けようとしています。
この節目の時期に、気持ちを新たにして、新年の目標を立てる人もいるでしょう。
実は去年の同じ時期、「もし、新年だから何か目標を立てようと安易に考えるのならば、やめておいた方がよい。そんな理由だけで目標を立てると、本来立てる必要のない間違った目標や、達成する可能性がほとんどない目標を無理矢理立ててしまう。。。」という内容の記事を書きました。
えー、今年も繰り返し同じことを書きます(笑)。
新年だからといって何か目標を立てることはやめましょう。さらに大きく言えば、人生にゴールを設定するのもやめましょう。何でもかんでもやみくもに目標を立てて計画したり、達成しようとする目標達成中毒から脱却しましょう。
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あるプロテニス選手がプレーする目的
以前本サイトで、数多くの世界的スポーツプレーヤーをサポートしてきたスポーツ心理学者のジム・レーヤー(Jim Loehr)を取り上げました。彼は、書籍「The Only Way to Win」の中で、世界トップ50に入る、ある女子テニス選手について次のように書いています。
彼女はツアー選手の誰よりも才能に溢れていますが、最近は格下プレイヤーに負けるなど行き詰まっていました。さらに悪いことに、試合に負けることを恐れ、勝ってもそれほど喜びを感じていませんでした。コーチもトレーナーもとても憂慮していました。
ジム・レーヤーが彼女に初めて会ったとき、成功した人生とはどのようなものか、プロテニス選手であることを含めて、彼女がすることの背景にある真の目的は何かを尋ねます。
彼女はしばらく考えた後、最終的に次の4つのことを思いつきます。
1.世界一になること
2.ウィンブルドンで優勝すること
3.経済的な心配をしなくてもよくなること
4.欲しいものが何でも買えて、好きなところに旅行できるくらいお金を稼ぐこと
レーヤーは彼女に「もし死んだら、このうちどの言葉を墓碑銘に刻み込んでもらいたいか」と尋ねます。
彼女はすぐに不機嫌そうな顔になります。このような言葉は自分の墓石にはふさわしくないと悟ったからです。そこで、もう一度何のためにテニスをするのか尋ねましたが、彼女はしばらく考えたあと「わからない」と深くため息をつくだけでした。
しかし、翌朝再会したとき、彼女は輝いていました。
彼女はその質問について真剣に考え、彼女自身にとって、とても大切なことに到達したのです。彼女はテニスをする目的を次のように再定義しました。
1.大切な人たちや、私のプレーを見てくれる人たちのために、太陽のような存在でありたい
2.私のプレーを見て、喜びを感じてもらいたい
そして、それから、この「究極の使命」を体現するためにハードワークし始めたのです。
彼女のプレーには再び情熱が吹き込まれ、みちがえるようになりました。試合を見に来たファンには、勝っても負けても彼女が明るく見えました。熾烈な勝負の瞬間にも、彼女が自己の目的に忠実であること、誰にとっても「太陽」である意志が感じられました。
彼女は勝ったのでしょうか?
残念ながらウィンブルドンで勝つことはできませんでした。
しかし、テニスをする目的を再定義したことで、敗北感や落胆はありませんでした。むしろ、トロフィーよりももっと素晴らしいもの、彼女が真に求めたものを、彼女が楽しませた観衆の中に見つけることができました。
彼女にとって勝利の意味はそれまでとはまったく違うものになったのです。
また、彼女は、他人の人生に喜びをもたらすと同時に、自分自身にも本当の火がともり、その結果、自分自身の成績も伸ばすことができ、最終的にはランキングトップ20に入ることもできたのです。
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シークレット・サンタがお金を配り続けた目的
先日たまたまフジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」という番組を見ていたところ、シークレット・サンタについて取り上げていました。私は番組を通して初めてシークレット・サンタのことを知りました。詳細はこちらの番組ホームページをご覧頂きたいと思いますが、次のようなストーリーです。
ラリー・スチュワートは会社の倒産やリストラなどの辛い経験の連続で、長く苦しい生活を送っていました。
リストラされてから2週間後のクリスマス・イブ、露店でポップコーンを買おうとした時、その女性店員が上着を着ておらず寒さに震えていることに気がつきます。ラリーは「世の中には自分よりも辛い人もいるのか。。」と思い、お釣りの中から20ドルを抜き取り、プレゼントとして差し出しました。
彼女がとても喜ぶ姿をみて、ラリーもとても気分が良くなり、銀行に行って貯金を下ろし、困っていそうな人や貧しい人に20ドルをプレゼントしてまわります。20ドルは大金ではありませんが、生活が苦しい人たちにとっては、大きな救いであり喜びです。みんなに感謝され、ラリー自身も温かい気持ちになれました。
その後、ラリーは58歳で亡くなるまで、何と28年もの間、クリスマスの時期に毎年匿名のシークレット・サンタとなり、現金をプレゼントとして配り続けたのです。
人に親切にすることでラリー自身の人生もうまく回り始めます。彼の人生においても成功を手にすることができます。
そして、最終的に彼がシークレット・サンタとして配った総額は150万ドル(約1億8千万円)にもなったのです。
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目標の背景にあるべき目的
私たちは目標を立てようとすると、多くの場合、「自分が」何かを達成したい、「自分が」何かを手に入れたい、といった自分の目標を設定します。そして、それらは、名声、地位、評判、実力、成績、注目、食べ物、楽しみ、趣味、お金、その他様々なモノやコトです。
しかし、私たちは、その目標の背景にあるべき目的や使命、自分が大切にする価値観を明確にしなければなりません。良いゴールや目標は、より大きな目的や使命を果たすための通過点やマイルストーンであって、最終目的ではありません。
そのような目標でなければ、目標を達成しても、手に入れた喜びはすぐに消えていきます。そして、失われた喜びを再び手に入れようとして、もっともっとハードルを上げて際限なく高みを目指したり、あれもこれもと手を出していきます。
先ほど紹介した女子プロテニス選手が最初に挙げた4つの目的も全てこのような目標です。一度達成するとすぐに満足できなくなり、より高い目標を達成したくなるのです。
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ドーパミンが生み出す快楽
このような目標達成の欲望は、ある意味、軽度な麻薬中毒やアルコール依存症と同じです。それらと同様の効果を私たちの体にもたらすからです。
程度の差こそあれ、薬物や達成感は、私たちの脳にドーパミンを生み出します。ドーパミンは喜びや快楽をもたらす神経伝達物質として知られていますが、その効果は永遠ではありません。むしろ、ドーパミンがもたらす喜びは一瞬で、私たちはすぐに馴化してしまいます。
また、ドーパミンは、ポジティブな反応だけでなく、その反動としてネガティブな反応をもたらします。
薬物の効果が切れた後、薬物中毒者が苦しむように、目標を達成した後に、喜びの効果が切れて、空虚感や無力感に苦しむのです。
繰り返しになりますが、私たちが達成したい、手に入れたいと望むものの多くは、ドーパミンの作用によって満たされます。そして、その達成感はある種の中毒や禁断症状をもたらし、もっと強い達成感を得たいという衝動や欲望を生み出すのです。
薬物依存は、私たちの社会に数多くある依存症のうち、最も強力で分かりやすい一例にすぎません。
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実力主義、能力主義:Meritocracy
このような目標達成中毒の背景には、実力主義や能力主義で成り立っている社会があります。
私たちは、幼い頃から何か目標を立てて達成するように教えられてきました。「何かを達成すること」が社会的に評価されるからですが、それを人間としての正しさや価値と直接結びつけてしまう過ちを犯すことがあります。
2014年の全米の学生を対象とした調査によると、青少年の約80%が個人的な達成や自分の幸福を最も重要視しており、他人への配慮や思いやりを選んだのはわずか20%でした。(1)(2)
オーストラリアの公共キリスト教センターのシニアフェローであり、新聞や出版物に執筆したり、講演を行っている中国系オーストラリア人のジャスティン・トー(Justine Toh)は、その書籍「Achievement Addiction Re: CONSIDERING」の中で、アジア系移民の血を持ち、幼いころから他人よりも能力に秀でることに価値があり、そうでなければ価値がないという教育を受けてきて、その価値観から抜け出すこと、苦しくて不安やストレスを抱えても常に何かを達成しようとするメンタリティから抜け出すことは容易ではないと述べます。
若者の達成感への関わり方を変えるためには、まず大人が自己内省することから始めなければなりません。達成の概念を見直すには、成功の概念を見直すこと、他人の人生や社会への貢献について深く考えることが必要です。
私たちが生活する社会のベースとなっている実力主義や資本主義が評価するものと、人間として成功するために必要なものは異なります。
実力主義の階段を登ることと、人間として成長することは異なるのです。
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新年に向けて
良いゴールや目標は、通過点やマイルストーンであって、最終目的ではありません。
目標を達成することが目的ではなく、目的にたどり着くために目標を設定するのです。
目的がはっきりしていないのに、安易に目標を立てようとするのではなく、まず自分自身を見つめなおしてみましょう。
個人の価値観には、調和、勇気、楽しさ、思いやり、公正さ、正直さ、寛容さ、家族、友情、創造性、自由、親切さ、誠実さ、、、などがあります。
自分が最も大切に思う価値観、外的要因に関わらず自分が人生で体現したいと思う価値観は何でしょうか。
それを自分の行動や思考の柱とするのです。目的が見つかれば、目標は成長への道しるべとなります。
誰でも、社会的に高く評価される人物になることはできます。
しかし、それを何のために使うのかが最も重要です。
裕福に暮らせるほど大金を稼ぐためなのか?ステータスを享受するためなのか?それとも、他の何かに使うためなのか?
長く金メダル最有力候補とされながら、不運に見舞われメダルに届かず、最後の最後のオリンピックで金メダルを獲得したスピードスケートの英雄ダン・ジャンセン(Dan Jansen)は、アスリートの究極の目的をシンプルにこう表現しています。
「スポーツをより良い人間になるための道具として使うのであれば、あなたは勝利者だ。」
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参考文献
(1) “The Children We Mean to Raise: The Real Messages Adults Are Sending About Values“, Making Caring Common Project, Harvard Graduate School of Education, 2014/7.
(2) Dimitrios Tsatiris, “Our Obsession With Achievement Is Fueling Anxiety“, Psychology Today, 2021/4/25.